新聞記事から 人生の贈りもの 日本画家 堀文子(93歳) 5回シリーズの4回め

終戦の翌年に結婚されました。

外交官だった夫とは原稿の挿絵を頼まれた縁で知り合った。自分は妻や母には不向きな人間で絶対に結婚はしないと決めていた。しかし、戦争で兄弟を失い、自分だけが自由に生きていくことが許せなかった。体の弱い夫を助けて生きていくことが自分のつとめのように感じた。夫は理解があり絵を描くことを認めてくれた。幸せな結婚生活だった。

43歳の時はじめての海外で3年間滞在されました。

前年に夫を亡くし、茫然自失に過ごすうちに今後の人生は本当にしたいことをやろうと決心した。西洋の文化をこの目でみなければと考えた。当時は自由に海外に行くことはできない。そのころ私の絵を気に入ってくれたアメリカの富豪に出国の支援を依頼すると航空チケットが送られてきた。エジプトに旅立ち、ギリシャ、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコを3年間放浪し、巨大な文明に圧倒された。そのうちこれまで気付かなかった日本という国が見えてきた。世界各地を巡り、芸術はつくるものではなく、植物が生えるようにその土地から生まれるのだと痛感した。美は暮らしの中に累積していくのだ。例えば日本の食卓には季節と彩りを考えた漬物が整然と並ぶ。食事の中にも日本の美意識が存在する。

旅、転居、多様な絵の表現、まさに「一所不住」ですね。

一所にとどまると感動を失ってしまうのだ。枠を出られない日本画をずっと嫌っていたがだんだんと理解するようになった。草木の生命や人間の動きを平面に閉じ込めて言葉の少ない俳句のように簡素にまとめる強い絵画様式なのだ。人物はみんな同じ顔をしているのに女の色気を感じさせるといった、西洋画とは違うリアリズムがあるのだ。日本画は極めて理性的な絵なのだと気づいた。私は師匠を持たず自己流を貫いてきた。創作活動に「壇」があるのはおかしいと思ってきたからだ。群れない、慣れない、頼らない。そのために自分の道を歩いた。創造とはその人だけの一度きりのものなのだ。私には画風がない。日本では一筋の道が好まれる。「前の絵がよかった」とよく言われる。一度描いてしまうとその瞬間以上の感動は無くなる。過ぎたものは忘れていくのだ。だから私の個展は「現在いま」というタイトルなのだ。