甲斐信枝さんのこと

今年の年賀状は、3種類作り、一番数多く出したのは、

あけましておめでとうございます。
十一月のある夜、何気なくチャンネルを回していて足元の小宇宙と左上にテロップがでている番組の画面に何かを確かに感じ、しばらく観ていました。このおばあさんは初めて会う人なのかしら---右上に入力モードが表示された部分に見え隠れしているテロップを読んでみると絵本作家がみつける生命のドラマとありました。と同時ぐらいにナレーターがカイサンとその人のことを呼んだのです。「えっ、この人、甲斐信枝さん?」飛び上がりそうになりました。生きておられたのだ---しかもしっかり大地に足をつけて骨太に軽やかに!今から三十年余り前、我が子が保育園から持ち帰る福音館書店のはじめてであうかがくえほんシリーズを気に入っていました。或る月の「ひがんばな」にとりわけ強く惹かれ、理科の教師であった私は高校生にそのまま読んでも通用するのではないかと考え、九月、いっせいにヒガンバナが咲き始めた頃、恐る恐る授業のはじめに絵本を読んでみました。読み終わるとなんと拍手が返ってきたのです。その感動を伝えたくて福音館書店気付で甲斐さんにお手紙を書きました。するとしばらくしてお返事をいただきました。その文面といい、書かれた文字といい、あの絵本の絵の雰囲気、イメージとぴったり合い、人間的にも素晴らしい方なのだと感じ入りました。ご住所は京都市の中心部のものでした。何回か年賀状のやり取りをしてそのままになったのですが、番組で火事に遭われご自宅が、七十冊を超えるスケッチブックが全焼し、京都の郊外に移られたことを知りました。その不運を甲斐さんは自然の生き物の生き様から安住という境地を教えられて乗り越えられたと語りました。番組の最後はヒガンバナのスケッチでした。
今年も様々な出遭いを愉しめますように。     丁酉 元旦

と書いた。

ひがんばな (かがくのとも絵本)

ひがんばな (かがくのとも絵本)

その甲斐信枝さんの名前を昨日の新聞の広告、「婦人公論」の中に見つけた。
購入。

小林聡美の「いいじゃないの 三人ならば」という記事。

小林聡美本上まなみと甲斐さんの対談。

さすが、甲斐さん。愉快だった。以下、甲斐さんの発言の抜粋。

*私は映画や舞台は観ないものですから、お二人のことは全然存じ上げなくて。本当にごめんなさいね。女優さんとお会いすることなんてないし、人間と付き合うこともあまりないですから。

*テレビといったらチャンバラしか見ないの。殺し屋が好きで。

*殺陣が好きなんです。今日の型や斬られ方はもうちょっと工夫すればよかったとか、あれじゃあ藤田さんがやりにくかっただろうな、とか。----ほかは天気予報とニュースがほとんどです。

*子どもの頃は体が弱くて病気ばっかししていたの。それで一人遊びが多かったんですよ。特に草遊び。「スベリヒユ」ってご存じないかしら。私は「お肉」と呼んでいたけれど、肉質の芽を刻んでままごとにしたり。そういうのが友だちだった。それからにおいが好きでした。菜の花とかカラスノエンドウとか。魅力がありましたね。

*虫はねぇ、芋虫とか平気だったんですけど、親が危ないって言って嫌がられました。だけどチョウとかトンボとか----あの、やりませんでした?赤とんぼのお尻を千切って、唐辛子だって売りつけるの。

*赤とんぼのおしりって唐辛子に似てますでしょう。私は子どもの時にそういう経験をさせないと、大人になってから残酷になると思うんです。無益な殺生は大人になってからはしてはいけないから。子どもの時にうんとさせとくといいと思いますよ。残酷とはどういうことか会得しますから。

*絵は子どものときから好きだったし、コンクールで入賞するぐらい、クラスでもダントツでうまかったんです。だから女学校の先生が、絶対に美術学校に行けって。それから国語がよく出来たので、国語の先生は絶対に文学の方に進めって。ところが私はなんにもする気がなかったんです。怠け者で。

*30歳になってもね、結婚するとかしないとか考えたこともなかったけど、これじゃあ飯が食えないから嫁にでも行くかと思ったら、時すでに遅し。それで仕方がないから、まず勤めたの。東京の慶應大学医学部の精神科で秘書をして、教授からも重宝されました。でも結局は、明日から交代がきく仕事なんです。そういう仕事はいやだって思ったんですよ。

*(怠け者はそんなこと考えませんよ)それには理由があるんです。自分で仕事を持たないと、モノが見えなくなる。これは困るなって。それで秘書をやめて、じゃあ、何をやるか。うちには好きで描いていたスケッチブックがたくさんあった。そこで、アルバイトをしながら童画の先生についたんです。それが32、33歳の頃。でもちっともうまくならない。先生からは「うちにきて4〜5年たつのに困るよ」って言われました。40歳のときに、最初は童心社で絵を使ってもらい、そこから福音館書店を紹介されて『ざっそう』という絵本を出しました。四十数年、あっという間でしたよ。

*私は絵本を作るとき、まず自分の目で対象物を観察し、対象物から教わった知識をもとに専門家の指導を受けるようにしています。先に知識を得ていると驚きがなくなってしまうので、本は絶対に読まない。それで2015年に出した『稲と日本人』の場合は15〜16年かかった。その間,ほかの仕事は何にもしなかったのよ。とにかく植物の観察には最低1年、そして描くのに半年かかります。

*(どこか、(住むのに)いいところはありませんか。)あのねえ、奈良がいい。『ひがんばな』という絵本を描いたとき奈良に通い詰めましたが、古い文化があって、奈良の人も懐が深いように感じました。

*(甲斐さんは植物や虫の時間の経過の仕方を、同じ次元で体験されているように感じたんです。)相手を知りたかったら、相手にリズムを合わさなくちゃ。一年草なんてね、1年で一生が終わるんですよ。私たちの一生は八十何年。サイクルが全然ちがうでしょう。3日見ない間に、向こうはもう何年も生きているわけ。だからものすごく忙しい。もうじき花が咲くかなと思って、行ってみたら咲いた後だったとする。大事なところを見損なってごらんなさいよ。また1年待たなきゃならない。

*わかったような気になることもあるけど、正直なところ、さっぱりわかりません。植物は何を考えているかわからないし、反応もしません。でも、だから興味がある。反応されたらつまらないでしょ。人間と同じ発想で生きているならば人間でも間に合うけれど、全然わからないのが魅力ですね。

*でも私は植物の恐ろしさは感じますよ。ぞっとするような動き方をしますから。それはじいっと写生していないと見えません。一日坐り込んで、描かいでか、というふうに思うじゃありませんか。するとみせる。

*動いてみせる。すごく怖かったのはね、葛。あれ、動いちゃって動いちゃってしようがないの。写生していて、もたもたすると向きが変わってしまう。それもなんいもないところには向かわないんです。草むらの、仲間がいるほうへ向きを変える。

*(どこが動くんですか?)全部。植物を描くときのコツは、何かほしがったらダメ。こっちの目が濁っちゃう。何も考えないでじっとしているとみせてくれるんですよ。でも、いいものをもらいたいと思うと絶対にくれない。

*人間はすごく優秀な生き物だけれど、ほかに比べたら獰猛というところがありますよね。植物もそうですけれど、生きるために相手を倒す必然がある。だけど遊びで相手を傷つけたりするのが人間という気がします。遊びが入ると残酷になるでしょう。遊びがないとちっとも残酷じゃない。蜂は我が子に餌をやるために、必死になって虫を倒しますよね。無駄がなくてきれいですよ。見惚れますね。本上さんがおっしゃるように(鴨川には欅の大木がずんずん生えていて、葉っぱが落ちるときにすごい音がする。ざわざわざわと、恐ろしいぐらいの音をたてて葉っぱが落ちてくると彼女が語ったことを受けて)相手がざわざわ語ってくれるってそういうことなんじゃないかな。私は首から上は全然使わない訓練をしようと思っているから。---私、労働者ですから。肉体労働の仕事ですから。         (この書き抜きの文責はtakikioにあり

小林聡美の対談の締めは「いつか甲斐さんに見ていただける時代劇に出なければ。」