新聞記事から 人生の贈りもの 日本画家 堀文子(93歳) 5回シリーズの5回め

1987年、69歳の時にイタリアのアレッツォ郊外にアトリエを構えました。

バブル景気に浮かれ、卑しくなった「金持ち日本」に嫌気がさしたのだ。この国で死ぬのが許せなくなり脱出した。しかし日本の収入でしか生計をたてられなかったので、「亡命」できなかったことが無念だった。知人の紹介でイタリア語もわからぬまま、男爵家の古いヴィラの部屋を借りて暮らした。ルネサンスの絵そのままの風景に迎えられ、生き返った。古いものはだめだと全部ぶち壊していた日本に怒りを感じていたので、自分を失わず、暮しを変えることのないイタリア人の底力に感動した。何千年もの間民族の興亡を繰り返してきたので民衆は国家や英雄に振り回されることなくしっかりしているのだ。
80歳を過ぎてペルーやヒマラヤ山麓に取材に出かけて話題になりました。

ヒマラヤの奥地に咲くブルーポピーをどうしてもこの目で見たかったのだ。もしもやりたいことがあるなら自分の力ですることだ。人に相談してはいけない。「また今度」というと二度とチャンスはないのだ。私はやりたかった大抵のことはしたので悔いはない。驚きや感動を与えてくれた放浪の旅は病気の後難しくなった。新たにであったのは顕微鏡の世界だ。ミジンコの姿をのぞきながら子供のころにどぶの中の微生物に夢中になったり農学部で植物をスケッチしたことを思い出した。受けた刺激が何十年もの間蓄積されて年輪になっているのだ。今見てきたものがすぐに絵になるとは限らない。雨水に溶けた石灰がたまって鍾乳石ができる鍾乳洞のようにあるとき私の中にできていた鍾乳石が姿を現し、何かを描かせる原因になっている。

未知の世界への好奇心はいまなお健在ですね。

ニュートン」「ナショナルジオグラフィック」といった雑誌を読みふけっている。原子力発電に変わる新しいエネルギーの問題、アフリカの先住民の話題など、すべてが面白いのだ。昨年はテラコッタの作品に取り組んだ。絵描きのくせにと怒られるかもしれないがもう遠慮などしていられない年になった。90歳を過ぎてやっと勇気が出たのだ。今までに感動してカゴに入れてきたものを恥ずかしげもなく引き出し、これからも人前にさらけ出すと思う。自分が目減りしないように、ちょっとでもマンネリにならないようにと常に驚いて不安で仕方のない人生を送ろうと心掛けてきた。私には「これでいい」というゴールはない。一歩でも1ミリでも上昇しながら生き生きとこの世を去って行きたいのだ。

好奇心ガールの笹本恒子さんといい、堀文子さんといい、90歳を過ぎて輝き続ける人たち、すばらしい。共通するのは人に頼っていないということ。