「不可能は可能になる」

古田貴之さんは、こんなイケメンです。

こんなスゴイ人を私は先週、テレビを見るまで知らなかった。
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20131221/1387607803

父の赴任に伴い、2歳から7歳までインドで過ごす。彼によればインドは良くも悪くも「他人と違うこと」に価値を置くカルチャー。
それが日本に帰って「人と同じ答えを出すこと」「皆に合わせること」「オリジナリティは歓迎されないこと」が重視される日本で自分に自信をなくし、友だちもできずに引きこもり状態で孤独に小中高と過ごす。

プラモデルにのめり込むが9歳のある日、プラモデルは誰が作っても同じモノが完成するように設計されているんだと気づく。自分で設計図を描けるようになりたい。決意して足を向けた先は図書館。JISの機械製図の規格書を借りだし、わからない漢字を飛ばしながら何度も同じページを眺めていると内容が頭に入ってくる。厚紙や工作用のプラスチック、割り箸でマネをすると似たものが作れる楽しさ。図工と体育だけは5、あとはオール1の成績表。

設計図を描くようになって、熱中したのは完成品の分解。ありとあらゆる動くモノの仕組みが気になってしようがない。幸いに自由に取り組ませてくれる家族がいた。この経験は彼の機械設計の基礎になっている。学生になってから学問で機械設計を学んだ人と違い、自分の手を動かしてあらゆる物を分解して組み立てなおした経験があると頭の中で作業をシュミレーションできる。そして完成品をイメージしてかなりの確率で正確な数値を予測することができる。人は実物を触ったときに年齢に関係なく肌で学び取るものがある。

(今、ロボット解体ライブと名付けて多くの人に最先端のロボット後術に触れてもらうことを目的に全国の小中高を年間100校以上、模擬授業を行い通算で3万人以上の生徒が参加した。使うのは部品代だけで3000万かけた「モルフ3」という二足歩行の人間型ロボット。この中の何人かでもロボット研究に興味を持つってくれたら未来に繋がる。)

学校でも近所でも同世代の子供となじめないことにおちこみながらそれでも自分の好きなことに打ち込むことでバランスを保ってそれなりの適応をしていたのに14歳で脊髄がウィルスに犯される難病にかかり、入院生活。病室では昨日まで生きていた人が目の前で亡くなっていく。半年で6人部屋は彼を除き全員が亡くなり入れ替わった。病院で見た現実は人生観に強い影響を与えた。人生は一度きり。好きなロボットをとことんやろう。僕がこの世にいた証をロボット技術で残そう。普通の日本人らしい中学生にならなくてもいい。自分がやりたいと思える道を進めばいい。

奇跡的に回復して一年遅れで16歳の中学三年になった。そしてこのころに小説「塩狩峠」に出会う。どういう生き方をすべきかのバイブルと思っている。

死ぬことに直面して考えを改めてからはすべてがシンプルになった。学校の勉強はできた方が自由でいられる。それならば勉強して成績を上げよう。目標を設定したらそこに到達するためにどうしたらいいかを逆算する。

高校を卒業するその年に最前線でロボット研究を続ける科学者がアメリカから帰国して青山学院大学理工学部に所属するという情報を入手。青山学院大学に進学。4年生にならないと研究室には入れないのにお願いをして早くから研究室に紛れ込み、博士論文級という卒論を提出、博士課程に進み、助手にならないかという誘いを受けてそのまま研究室の助手に。

しかし同級生や先輩を押しのけてまで研究の居場所を確保しようとしてきた彼に周囲は冷たく、院生はついてこず、自分のそれまでの行動を悔いる。おのれの人望のなさに直面して行動を変えていく。やむをえず学部の4年生を自分から誘い、乗ってきた7人に不眠不休で2ヶ月間、基礎から教え、基盤をつくる。この経験から人を生かすということができるようになる。仲間はいいものだということを実感できるようになる。カーネギーの「人を動かす」という本からもたくさん学んだ。そうやってつくった「Mk.5」はロボカップ第4回世界大会でサッカーボールをシュートする動きを披露して一躍世界から注目される。その後、大学をやめ、戦略的創造研究推進事業(ERATO)の北野共生システムプロジェクトのロボット開発グループリーダーを経て、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター(fuRo)所長に就任。ずっと一緒に仕事をしてきたチーム7人一緒に雇ってもらえるならという条件を大学が呑んでの異動。

最後に彼は書いている。「僕は難病から奇跡的に助かった少年時代に下半身不随の車椅子の生活を送りながら「不自由が不自由でなくなる社会」を実現しようと誓いました。そして結婚して0歳と5歳の二人の娘を持った現在では「誰か一人だけが幸せになる社会はありえない」ということも実感しています。だから「ロボット技術で社会全体が幸せになる」ための努力を人生をかけて徹底的に続けようと覚悟しています。「不可能は可能になる」と信じて−。このような姿勢で研究を続けている限り、僕はお金儲けはできないと思います。そのうちに「fuRo」の仲間全員で屋形船を借り切って東京湾の花火大会に行けたらいい。それくらいのお金を稼げていれば、僕はそれで充分です。」

不可能は、可能になる

不可能は、可能になる


私は昔、友人からとてもいいから読んでと「塩狩峠」をむりやり押しつけられたことがある。結局、読まなかった。
この本にその小説が出てきてびっくり。遅まきながら読もうと思っている。さっき注文した。