思いやりのある社会を取り戻そう

昨夜もテレビをたっぷり見てしまった。
まず、Eテレの番組「スーパープレゼンテーション」はモニカ・ルインスキーだった。

クリントン大統領の愛人だった人が、17年の沈黙を経て何をしゃべるのか、興味を持った。

今、41歳。とてもしっかりした顔になっている。

1998年の一大スキャンダルの中心人物である私。
自分がまちがったことをしたことは十分わかっている。私は恥じている。後悔している。
聴衆の中で22歳のころに間違ったことはしなかったと自信を持って言える人、手を挙げてみてください。
さて、それまでのスキャンダルと違うのはデジタルの時代になっていたことだった。一晩にして私は全世界の晒し者になった。ネット晒し、ネット私刑の被害者第一号。凄まじいまでの罵声、中傷、罵詈雑言。
人々は私が生身の人間であることを忘れてしまった。
信用はもちろん尊厳を失い、命を失いそうになった。
1998年9月、独立検察庁(?)の取調室の中で自分の声を聞いている私。
信用していた女友達が私のかける電話を録音していた。1年間の通話、20時間分。心を許し、つまらない冗談を言い、要は思っていることを人目を気にせず、しゃべっている愚かな私の声、内容。どんなに後悔したか。
やがて文字起こしをし、提出された。読まれるだけでぞっとするのに音声テープがTVに流れ、ネットで全世界に流れた。全世界で聞こえる無数のクリックの音。
2010年に起こったタイラー・クレメンティの事件。寮の自室での男性との情事をルームメイトがビデオに撮りネットに流したことで彼は深く傷つき、自殺を選ぶ。
その報道をテレビで観た私の母が興奮し、取り乱して、私に電話をかけてきた。母は1998年を思い出していたのだ。当時、母は私にシャワーを浴びるときですら自殺を恐れてドアを開けさせていた。
タイラーの死をうけ、私は自分の経験を見直すことにした。
1998年のネット社会の出現は家族の再会や人命の救助やそして革命まで起こした。
その裏で必要以上に個人を晒し者にするネットいじめも始まった。屈辱恥辱は喜びや怒りより衝撃が大きい。人の関心を引く。
その屈辱恥辱を商品として金儲けする人が出てきた。
つまりそれをネットに流し、人々の好奇心を促し、あおり、導く。たくさんの人間がそのサイトを見ることで、そこに貼られたバナー広告をクリックする人が母数が多ければ多いほど増え、収入になる。
大人ならコントロールしてその嵐を耐えられようが年端もいかない若者がその餌食になり死まで選ぶ悲劇が後を絶たない。
もう、こんな悲劇は終わりにできないか。
思いやりと共感をとりもどそうではないか。
私が死なないですんだのは家族や友人の私に寄せてくれた思いやりと共感だ。
傍観者をやめて、その渦中の人に思いやりを伝えよう。
そういう運動をしているNPOに賛同の意を伝えよう。
一人一人がそういう意思を持ってあきらめずに取り組めば、変化を起こせる。
思いやりのある社会を取り戻そう。

多くの聴衆がスタンディングオペレーションで応えた。

彼女のプレゼンテーションのタイトルはEテレは「恥辱の代償」となっているが「さらされた恥辱の値段」としている訳の方が適切ではないかと思う。

ほかに高野豆腐---ためしてガッテン
夢の扉(再放送)---AGE(終末糖化産物)が老化を起こす
ドキュメンタリー---天国には行かせない(クルド人女性部隊のISとの闘い)