有意義なひとときに参加できた幸せ

「第28回言論の自由を考える5.3集会 戦後70年 メディアの責任 一億総発信社会で」という集会に行ってきた。

1987年5月3日の夜に起こった朝日新聞阪神支局襲撃事件の翌年から「言論の自由を考える5.3集会」を開いてきた朝日新聞労働組合。今年で28回目になる。20分のDVDをはじめに見た。こんな間近で散弾銃を撃ったのだ。当時勤めていた高校の同僚が亡くなった小尻記者と大学で同期だった、ショックだと言ったのを覚えている。あれから28年。

会場の神戸朝日ホールは満席。525人がびっしり座る。

DVDのあと、黙祷。

ついでパネルディスカッションが始まる。コーディネーターは堀潤。パネリストは、
高橋源一郎(作家) 
御厨 貴(東大名誉教授)
瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター理事長) 
西村陽一(朝日新聞取締役編集担当)

13時から始まり、途中2回の休憩を挟んで、17時15分まで。

Ustreamで同時中継された。

西村氏は硬くてなかなか言葉が私に届かなかったが、堀氏も含めて他の4人は自分の言葉で、具体的で、よくわかる話だった。

最初に堀氏が今日は小さな主語で語ろうと呼びかけた。それを受けて源ちゃんが素晴らしいスピーチは固有名詞と小さな言葉で語られる、思惑のあるスピーチは大きな言葉が、抽象的な言葉が踊ると言った。

御厨氏は何となく私の中で御用学者という位置づけがあったのだが、そうではなかった。なかなか骨があり、言うべきことは言う人だった。

瀬谷氏は38歳の若さで世界を相手に平和構築、紛争解決・予防という困難な仕事を具体的にしてきた人だった。彼女もよくわかる話をした。

源ちゃん(NHKラジオ番組スッピン金曜日担当パーソナリティーとしてはや4年目に入る高橋源一郎、人気は源ちゃんの現代国語のコーナー、金曜日に車で出かけることの多い私は目的地について車を降りるのを渋るほどにファンになっているので源ちゃんと呼ばせていただく)のセンスはさすがだった。私は彼と糸井重里さんのセンスはなかなかだと普段から思っているが、そして共感できるものを持っているが、今日もなるほどなるほどと思って聴いた。

大西巨人を持ち出して「俗情との結託」という言葉を使い、発信手段が増えれば増えるほど【俗情との結託装置】が増えていくだけではないかと言った。今や史上最高の発信力の高まり、もはや読む人より書く人の方が多いのでは、聴く人より歌う人の方が多いカラオケ状態だと。発信力が増せば増すほど誰も聴かない。もはや発信することに意味はなくなり、それより伝えたいことを遠くに届かせる方法が大事だ。

御厨氏も発信手段が増えれば増えるほど多様化が深まるかというとそうではなくて頼りになるモノを逆に求めているように思うと言った。

遠くに届かせるには具体的な、小さな言葉で、自分にとって大切なこと、困っていること、ハッとしたこと、身近な人の困難を、多様なファクトをあげていくこと、そういう声にマスメディアは耳を傾け、その事実を磨く作業をやりつづけることで存在意義があるし、出てくるし、世の中を変えていくことにつながっていけると堀氏が結んで会は終わった。

源ちゃんが途中で「瀬谷さんがなぜこの場にいるのだろうと思っていたが、いる意味がわかった。世界のためにだけじゃなく、日本のために日本の国内の紛争予防に、戦争しない国でいられるように、あなたの力を役立ててよ」と言って瀬谷さんがドギマギしたのも高橋源一郎という人の柔らか頭がわかって興味深かった。

最後の質疑応答で20代の新聞記者の「メディアの多様化で記者という仕事の存在意義が薄くなっている。どう生きていけばいいのだろう」という質問に、専門知識をもった記者の存在感がますます増しているんだよ、一次情報を取ってきてそれを磨く技術を身につけていくこととアドバイスする堀氏もよかった。

最後に挨拶した朝日新聞労働組合本部執行委員長という人は若い人であったが朝日新聞の過ち、再生の取り組みについて語り、真摯な姿勢を感じた。

聴覚障害者のためのパソコン要約筆記があった。機関銃のようにしゃべるパネラーたちの発言をもののみごとにどれだけきちんと文脈も乱れることなく的確に要約したか。すごい言語力とパソコン打ち込み能力の高さに脱帽。