よき一日 不昧公に再び出会う

お茶のお稽古日を変えていただいて池田の逸翁美術館に行く。
「復活!不昧公大圓祭−小林一三が愛した大名茶人・松平不昧」をやっている。
http://www.hankyu-bunka.or.jp/sys/info/article/36

その会期の中で昨日は熊倉功夫氏の講演会があったのだ。

この人のおっかけをしているようなものだ。昨秋の香雪、3週間前の大阪市立住まい情報センター、この日と、3回めである。
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20121212/1355326442
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20130331/1364730295

この人の話はおもしろい!

今回は「松平不昧の時代と茶の湯

昨秋の大学時代の友人を訪ねての出雲行きで事前に不昧について調べ、楽しい旅になったこともあり、私なりの不昧公への思い入れもあり、そして彼を語るのが熊倉氏となれば、聴きに行かないわけにはいかない。
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20121008/1349701957

1時間前に整理券を配るとのことで30分前から並んだらなんと一番前の中央の席!

不昧公は1751年生まれと知り、1951年生まれの私は因縁を自分勝手に感じる。

もともとお茶事の中で作法、手前について実地で指導をうけるというやり方であったのが茶の湯の流行で、習う人が増え、稽古が独立することになるのがこの時代。それでも廊下は稽古を待つ人であふれかえったという。七事式は待ち時間を減らすために考え出された集団稽古の画期的発明だという。

不昧は50万両の借金のあった、火の車であった藩の財政を立て直し、道具集めを始め、道具研究に打ち込む。

それに分類という手法を持ち込み、そして「親試実験しんしじっけん」自分の見たものしか信用しないという、近代科学主義を持ち込んだことが不昧を他のお茶好きと一線を画す人物にしているのだ。そして集めた道具を分類して雲州藏帳という冊子に残すが不昧個人の物ではなく日本国の宝物としてこの天下の名物を散らしてはいけないのだと息子によくよく言い聞かせている。

高橋箒庵、小林一三といった近代の数寄者が何かと不昧をお手本にするのは生き様に惹きつけられてのことである。

というようなことをエピソードを交えて生き生きと話をされた。

私は、この人のファンになろう。

お茶室では呈茶があり、券を購入して入ると小林一三記念館の中にある即庵を写した茶室で、椅子席である。11月の即庵での茶会をなつかしく思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20121111/1352639384

お道具は全て逸翁美術館のものを使い、お抹茶もこの会期中は松江の「中の白」であった。この銘は不昧による。お茶杓は一三夫人の手になるもの、香合は松江の楽山焼き長岡空権さんの富士山等々それぞれにストーリーがあって楽しかった。お菓子はこの美術館の近く、小林一三が好んだ福助堂の花筏

よき一日を過ごせたことに感謝。