覚書その3

老僧:小井戸茶碗 秀吉愛蔵後、古田織部所持
林屋晴三と千宗屋の対談。こんなに高台が大きい上に梅花皮がしっかり出ている。胴の釉景色−赤みを帯びたり、しみてムラムラした赤になったり、グリーンだったり、変化に富んでいて存在感がある。変化に富むというと通常は軽い感じを受けるがこの茶碗は安定感が同居している。

細川:大井戸茶碗 細川三斎所持 重要文化財
畠山記念館翠庵 林屋晴三と千宗屋
のちに愛蔵した不昧は「喜左衛門」「加賀」とこれを天下の三井戸とした。無事是貴人の風格。昔は優美な茶碗とばかり思っていたが畠山即翁のもとに入ってからだいぶ変わった。使われたことで梅花皮が落ち着き、しみもあらわれ、味わい深さを増した。井戸という名前は天正6年に忽然とあらわれる。「かうらい茶碗」「せいたかきカウライ茶碗」「深いカウライ茶碗」とか言っていたのが。文禄慶長の役に際してかなり日本に持ち帰り一段と声価が高まり、その後も入ってきたのだろう。

古堅手雨漏:雨漏茶碗 播州姫路藩酒井家所持 重要文化財
蓑虫:雨漏茶碗 松平不昧所持 重要美術品
根津美術館弘仁亭無事庵 林屋晴三と千宗屋
白の高麗茶碗を堅手(かたで)と呼んだのは手触りの堅そうな印象を言ったのか。朝鮮半島から渡来したときはまだ真っ白な肌合い、そしてざんぐりとしたやわらかい焼きあがり。ところが手に持ち茶を飲むうちに少しずつしみが出始めて−。変化する肌に当時の茶人たちはどんなに驚愕したことか。しかもそれを雨漏と風雅に呼んで、なお賞玩した彼らの機知。そこには日本人の深い感受性と嗜みがあった。濃茶茶碗として高麗茶碗の双壁が「喜左衛門」と「古堅手雨漏」と思う。「喜左衛門」は向うからくる茶碗。「古堅手雨漏」も向こうからくるがさらに私の気持ちを引きこんでいく。感情移入できる茶碗。「喜左衛門」は有無を言わせない。これは有無を言わせないでいてなにか余裕がある。
「古堅手雨漏」は磁質の土に対し、「蓑虫」は陶質の土なので「蓑虫」の方がしみがよくでていて内外に現れた雨漏りがみごとな景色になっている。

毘沙門堂:柿の蔕茶碗 重要文化財
:魚屋茶碗(ととやちゃわん)
畠山記念館毘沙門堂 林屋晴三と小堀宗実
茶の湯の世界が「柿の蔕」と名付けた茶碗は20種類以上ある様々な高麗茶碗の中にあってもっとも寂びた趣の深い茶碗だろう。いまだに確かな産地も年代も判然とせず伝世品も少なく十数碗しかない。鉄分の多い陶土に極めて薄く灰釉がかかった釉肌は南蛮の焼き締め陶に似て高麗茶碗の中では他に見ない味わい。魚屋は数が多い。この「隼」は利口とか気が利いているとかいう言葉がまさしくぴったり当てはまる茶碗。「隼」には「毘沙門堂」のような風格はないけれど後から薄茶で出てきたら格別の御馳走になる茶碗。

花曇:蕎麦茶碗
:黄伊羅保
布引:釘彫伊羅保
松屋一玄庵 林屋晴三と千宗屋
朝鮮で焼かれた高麗茶碗は最初は雑器的な器を請来した見立てであったが高麗茶碗の需要の高まりとともに茶人が注文して焼かせるようになる。その初期の注文茶碗のひとつが伊羅保と言われる。見立て茶碗の蕎麦と注文の高麗茶碗。
蕎麦茶碗はかたいものが多いが「花曇」は動きがある茶碗。腰に独特のふくらみをもたせながらゆったりと外に開く平茶碗。蕎麦の典型とされる形を持つ。釉膚にもなんともいえない魅力がある。枇杷色と灰青色が色変わりをしている。これで茶をいあただいた小堀宗慶が「めぐり逢いて更にまた花は曇らず目を覚ましけり」と書いてよこすほれ込みぶりだった。伊羅保は土が粗くいらいらした感じなのでいらぼというようになった。高台内にあたかも釘で彫ったかのように鋭くえぐれた渦状の彫があるものを釘彫伊羅保という。