覚書その2

不二山:白楽 光悦 江戸時代 国宝
これは写真のみ。対談なし。林屋晴三の文章のみ。銘は光悦自身がつける。もともと白楽茶碗を造るつもりだった。ところが下半分が焦げてしまい偶発的に片身替りになって、まるで霊峰富士のようだと思い、光悦自身、茶碗の景色に因み、また二度とはできないものということを感じて銘に意味を込めたのだろう。

卯花墻:志野 桃山時代 国宝
林屋晴三と千宗屋の対談。大きさと深さ、口造り、間合いのよさ、渋滞しているところがない。動きあって動きすぎず、しかもくるくる表情が変わる。決して大きくはない面積の中でこれだけの表情がある。高台の真ん中に穴がある。これは土の中に木片が入っていた。焼いて燃え、真ん中に穴ができた。巧妙な技がある。

蓬莱山:志野 桃山時代 
個人茶室 林屋晴三、千宗屋
唐物の天目茶碗の流れを受け継ぐ椀形。高台が中心からずれている。口辺の暴れたうねり。どこかひょうげた志野茶碗の破格ぶり。

唐津菖蒲文茶碗唐津 桃山〜江戸時代 重要文化財
林屋晴三と千宗屋の対談。美濃で焼かれていた志野茶碗を倣った形と想像できる。すっと伸びた菖蒲の茎、にじむように描かれた花の姿、伸びやかな葉。これだけの絵をかける人が窯にいた。そもそも絵を描くこと自体作為的なのにここまで無心というのは凄いことだ。

深山路:奥高麗 桃山〜江戸時代
個人茶室 林屋晴三、千宗屋
素直で大らか、まったく作為がなく静かで、侘び数寄の中で極まった茶碗。カーブといい、質感といい、日本の茶碗なので大井戸とも違う和風のよさ。唐津の窯で高麗茶碗を意識しそれに倣った作風のものをつつましく奥高麗と称したのか。

色絵鱗波文茶碗御室焼 仁清 重要文化財 江戸時代
北村美術館広間 林屋晴三、千宗屋
洗練されたデザイン力は今見ても色褪せることなく斬新である。色絵陶器の焼成に成功し、茶人金森宗和の指導も受けて名をあげていった仁清。大らかな椀形にわずかに胴を引きしめた形は金森宗和好み。濃密な構図は能装束にも似る。

蔦の細道御室焼 仁清 江戸時代
桃山陶器を応用しつつ、しかも個人名を冠してここまで装飾性の高い所へ意識を持つ。利休の侘び数寄をまったく否定した上で成り立つ装飾芸術。