今日の新聞記事から

新聞は情報だけを届けるのではない。

生きる励ましも勇気も警告も共感も届ける。

「ひととき」欄 春の訪れに思う
長女の入学。母の筆者が選んだ服は箪笥に眠っていたもの。それを着ると決めて袖を当日まで通さなかった。着てみるときつい。ぶかっこうな姿で記念写真におさまった。住む土地を決めるときに夫は小学校まで遠いのではと言ったのに大丈夫とこたえ、実際は徒歩で40分かかり後悔と続き、最後の段落、筆者は自分は躁と鬱とを繰り返す双極性障害、この1年は抑鬱状態に苦しんできたと明かす。最後は娘が元気に登校し、友達もたくさんつくったことを良しとしたいと書き、もうすぐ春が訪れるというのに情けない話であると結ぶ。

自分をさらけ出し、客観視できるこの人の凄さ、強さ。彼女を支える家族。

「声」欄 過ちから何を学ぶかが大切
広島の中三の男子生徒の自殺。1年の他の生徒の万引きが誤って本人のものとされた記録が改められなかったが問題のように報道されているがもっと根本的な問題がある。1年時に万引きをしたら推薦入学を望んでも担任が推薦は出来ないとする行為は教育者として正しいのか。筆者は小6の時、個人商店で万引き。店の人が家に来て母親が土下座をして謝る姿を見て「二度とすまい」と思った。表沙汰にはならず学校の介在もなかったが、店の人に感謝している。子どもは万引きやいじめや様々なことをしてしまうものだ。そこから何を学びどう成長するかが問題。1年時の記録が訂正されなかったということは万引きをした生徒と担任が深く関わらず指導しなかった結果ではないか。指導を放棄して記録だけを残す。そこに教育的配慮は感じられない。記録だけをもって生徒の将来を閉ざすなんてもってのほか。

筆者は65歳の女医。自分の過去を語っての「声」は響き、よく伝わる。

「声」欄 憤り超えた怒りはこちらだ
関電3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定について関西経済連合会の会長が「憤りを超えて怒りを覚えます」と記者会見で発言。高浜原発が再稼働されて電気料金が値下げされた場合、鉄道事業の電気代が年5億安くなる。年5億なら100年でも500億。原発事故が起これば何千億、何兆円という税金や国民負担が必要になる。今回の福島では処理費用が最低でも12兆円以上とみられる。事故が起こらなくても寿命を超えた原発廃炉廃棄物処理には多額の税金が必要。目の前の利益を重視した安易な発言に、まさに「憤りを超えた怒り」を覚えるのは私だけだろうか。

同感。そしてもっと言いたいのは被ばくすることへの経済ではすまないもっと根本的な非道。

(要約文の文責はtakikioにあり)





「生活」欄に映画「リリーのすべて」の紹介。
監督はトム・フーパー。この人が監督と知って是非みようと思った。
英国王のスピーチ」もよかった。
レ・ミゼラブル」は何回でもみたいと思った。

レ・ミゼラブル」がなぜあんなに私の心に響いたか、歌が、歌い方がセリフを超えるぐらいによかったのである。あとで知ったことだが、それぞれの場面を撮るときに実際に伴奏を吹き込んだものを流し、役者がその演じている気分のままでその場で歌っているのである。感情がこもっている歌なのであれだけ響いたのだ。そういう、それまでにはないミュージカル映画を考えだす監督。人に伝えるやり方を掘り下げる人なのだと思う。