昨日のしあわせ

教師として勤めた二つ目の学校の学年同窓会が昨日あった。卒業以来の同窓会で、50歳になってやっと帰巣本能が働き出したのかも知れない。

32年ぶりに会う人達がほとんど。

母校にもどって化学の教師をしている人が「先生に化学を教えてもらって今の僕がいる」と言ってくれた。

ある人は卒業アルバムに書いた私の寄せ書きを何度読んで乗り越えてきたかと言った。何を書いたのだろう、聞いてみると「人と比べて生きるのはやめよう」というようなことを書いたらしい。今でも読み返すことがあると言った。

放送部の顧問をしていたのだが、もと放送部だったTさんが司会をした。大学でのアルバイトが縁でブライダル会社に就職し、式でのイベントに流すDVDの制作にかかわったりしている内に司会をしてみたいと思うようになり、プロのアナウンサーについて勉強し、この仕事についたという。それはそれは素晴らしい司会だった。技術はもちろんのこと、アナウンスに心がこもっていた。

卒業以来、ほとんど連絡を取り合わないできた。一回クラスの同窓会があったきり。何回か私は転居を繰り返し、今度の案内も転居先不明で幹事に戻ってきたという。それを聞いた学年団の同僚が連絡をくれたのが2/2、出席しますと連絡をしての昨日の同窓会。

私の性分として仕事としてかかわるときは一生懸命、ときに120%の情熱でうちこみ、でも卒業するとさっと次の対象にまたエネルギーを注ぎ込むという繰り返しで後を引かない。むろん頼ってこられたら別だが、そうでなければこちらから声をかけない。教師の無名性、教育の無名性がプロの流儀だと思っている。学校で誰かにつけてもらった力。それで十分である。


二次会は参加せずに帰宅。夜、アルバムを見ながら余韻を楽しんで就寝。