福岡伸一の動的平衡2

20151210の朝日新聞コラム

あるシンポジウムに参加したときのこと。企業トップが登壇し高らかに宣言した。「これから一番重要なのはサステナビリティーである」と。

日本語では持続可能性と訳されるこの言葉、お偉方にご託宣いただくまでもなく、最も熱心にサステナビリティーを追及しているのは誰あろう私である。いや、より正確に言えば私という生命体だ。

生命に降り注ぐ矢がある。それは細胞膜の酸化、老廃物の蓄積、タンパク質の変性、遺伝子の変異などをもたらす。放置すれば生命という秩序は崩壊する。

持続可能性と聞くと、丈夫で長持ち、堅牢で強固なイメージだが、生命ははなからそんな選択をあきらめた。そうではなく、むしろ自分をゆるゆる・やわやわに作った。そして常に、分解し、壊すことで矢を抜くという方法をとった。その上で自らを作り直す。こうして38億年の持続を可能とした。

たとえば、うんち。うんちは食べかすが排泄されているようにみえるが、その主成分は自分自身の消化管の細胞の残骸である。それが日々捨てられている。その代わり新しい細胞が日々新生される。

この絶え間ない分解と更新の流れを私は「動的平衡」と呼ぶ。これが生命の定義であり、生きていることの本質である。

水を流す前の一瞬、昨日までの私が宇宙の中に溶け出していく姿に、いま一度、別れを告げよう。





いいですねぇ。たえず分解し壊して、作り直す。安住しない。禅の世界にも通じるなぁ。生き方に通じるなぁ。でもそうすることはきつい、厳しさをともなうものですよね。しかしそのきつさをどこかにもって生きていく私でありたい。
そして、うんちのみかたが変わりました。食料として取り入れたもので消化しきれなかった残骸が主成分と思っていました。私の細胞だったものなのだ。