「きもの」

明治時代の終わりに東京の下町に生まれたるつ子は、あくまできものの着心地にこだわる利かん気の少女。よき相談役の祖母に助けられ、たしなみや人付き合いの心得といった暮らしの中のきまりを、”着る”ということから学んでゆく。現実的で生活に即した祖母の知恵は、関東大震災に遭っていよいよ重みを増す。大正期の女の半生をきものに寄せて描いた自伝的作品。著者最後の長編小説。

という幸田文の「きもの」を文庫本で読んだ。古本屋で260円で買って長い間本立ての隅に眠っていた本である。

きもの (新潮文庫)

主人公るつ子の成長物語だが、最後は意外な終わり方をする。なので未完の小説と言われていた。1965年から3年ほど雑誌新潮に連載されたが長くそのままにされ、著者の死後、1993年に出版された。小説として出版するならさらに内容を書き足したのではないか。唐突に主人公の結婚で終わり、しかもその結婚が破綻するのではないかと危惧を抱かせる終わり方であるからだ。

実母から二人の姉ほどには愛されていないるつ子が祖母の適切な介入で気を取り直して何度も立ち直り、ねじれることなく、妬みを繁殖させることなく、より深い洞察が出来る人間に成長していく。具体的な働きが出来る人間に成長していく。

二人の姉、特に上の美貌ゆえに高慢ちきの姉にはずいぶんな扱いを受け、こけにされるのに腹を立てずに冷静に観察してわがままにつきあい、姉の立場を思いやる行動がとれる娘に成長していく。

二人の姉の自分のことしか考えぬ浅はかさ、自分勝手さが説得力を持って描かれ、巧みでこの小説に厚味をもたらしている。

一番母を理解して学業を犠牲にしてまで病に伏した母に尽くすのにその母からうとましく思われる哀しさも胸を打つ。

文庫本の最後にある解説に辻井喬が「『きもの』の背景は広く、主題は深いものを秘めていると言ってもいいだろう。それが可能になったのは、登場する人物、主人公、父親、母親、祖母、二人の姉、一人の兄、そして主人公の友人たちがそれぞれ人間の原形を示すことに成功しているからである。飾りのない、無駄を省いた文章、簡潔さという幸田文の文章表現の特徴がその主題を支えている。」と書いている。そして父の愛人まで登場し、その人がまた魅力的で主人公をよく理解し、真心で支える。

登場人物一人一人に存在感が感じられる。そしてこの祖母の存在が魅力的である。主人公への、また家族への並々ならぬ心配り、こんな人になりたい。

関東大震災のことも様子が詳しく具体的に描かれ、天変地異の具体、人々の行動、助け合い、感情、嘆くばかりでなく工夫を凝らして生活を取り戻していく様子、そんな中でも機転を利かせて商売を考える人々というような按配で読ませる。

北陸に往復するサンダーバードで過ごした合計すると6時間の車中、読み終えることができた。

「利かん気の一人の娘が家族や友人に鍛えられ、教えられて次第に精神を形成してゆく教養小説」(辻井喬)でもあるこの小説、要所要所に効果的に着物が登場する。どんな着物を選び、どんな帯を締めて立ち向かうのか、くつろぐのか、どんな寝間着で布団で寝るのか、人の気持ちを奮い立たせたり、なだめたり、癒やしたり、着物は人生でもある。

幸田文の小説がもっと読みたくなって、今日、注文した。