たまっている連載小説を読む

淡路で四泊五日を過ごし、今日帰宅。

義兄は一進一退を繰り返す。先生方はよくしてくださって、寿命を延ばしてくださっていると実感する。

義姉も私が行くことで気分的にずいぶん落ち着いた。行ってよかった。お姉さんは精一杯がんばっているよ、よくやっているよとそばで伝えることが私の役目だった。



帰宅してから、新聞に目を通す。

朝刊と夕刊の連載小説、沢木耕太郎の「春に散る」と吉本ばななの「ふなふな船橋」。


「ふなふな船橋」は最初、目を通していなかった。ふざけすぎのタイトルとよくわからない挿絵!と思っていた。ところが、一ヶ月ほど経って何気なしに目を通すと、妙に心に響く言葉が詰まっていて、今では目が離せない。

−なんでこの人はまるで母のように私を和ませるのだろう?私はその答えをとうに知っていた。それは幸子が決して私を裁かないからだ。彼女はだれのことも裁かない人だった。−

−私、いつも花ちゃんを見てると心が和むんだ。だれにも言わないで、ちゃんと自分の内面といつもまっすぐお話ししてる。こんな優しい人いるんだって思う。人をいやな気持ちにしないように、明るくいられるようにいつも笑っているけれど、その中にみじめさも媚びもなんにもなくって、ほんとうに人に幸せな時間をあげたいって花ちゃんは思っているでしょ。−


「春に散る」はプロボクサーだった人の話。今後、どう展開していくのだろう。この小説もはじめ、キューバにいる場面から始まって、ついていけなかったのに、ある日、酒場でテレビのボクシングの試合を観る回から妙に惹きつけられ欠かさず読み始めた。


今日は半夏生。帰りの車の中で関西ラジオに明石の市長が出演していて、半夏生の日にこの日までに田植えを終えて明石など播州地域では蛸を食べる風習だと宣伝していた。NHKラジオでなでしこイングランド戦を聞いていたがハラハラするので局を変えたのだった。ちゃんと勝ったのにね。

市長が蛸の雄と雌の見分け方も説明していた。吸盤の大きさが揃っているのがメス、不揃いなのがオス。私もこのことは先日友人から聞いて知ったばかり。明石に住んでいるなら当然、知ってなきゃダメよと友人が言わんばかりなのがおかしかった。


淡路に行っている間、ぬか床を毎日かきまわしてほしいとツレアイにお願いしたのだが、ちゃんと守られていたのには感心、びっくり。