最近のほぼ日手帳

ほぼ日手帳の欄外コラムにほっと癒やされたり、なぐさめられたり、共感したりしています。最近のそのいくつかを。

じぶんが「恥ずかしがり」ということについて、それでいいやとは思っていませんでした。「恥ずかしがり」をやっている間って身動きが取れてないのです。「恥ずかしがり」さんがもじもじしている間、恥ずかしがってない人が遊びやら仕事やらを進めてくれてるんです。そうなんですよ、「恥ずかしがり」ってだいたい、誰かの助けを借りているんです。じぶんの足で立つ、と意識したら、「恥ずかしがり」のままではいられないんですよね。
                −糸井重里が『今日のダーリン』の中で

ひとつは、「人なのだ」ということ。すべては、人がつくり、人が生み、人が壊す。人を徹底的に考え、人を想像することが、幸福も、よろこびも、ビジネスもうまくいかせる。もうひとつは、「ミックス」ということ。年齢も、人種も、地球も、ことばも、資本も、おたのしみも、魅力も、公も私も、洗練も俗流も、過去も未来も、混ざっていくのが自然だ。このふたつの中心から描ける楕円のなかにぼくらのやるべきことが埋まっている。
                −糸井重里が『今日のダーリン』の中で

つくづく思うのは、
動物達は「いま」をちゃんと生きているということ。
いつかくるその瞬間を恐れて案じるあまりに、
元気で生きている「いま」を失うのは、人間のほうです。
          −石田ゆり子さんが『はなちゃんの秋休み。』の中で

自分を表現できない、それゆえ友だちができない。
そこをどうブレイク・スルーしたらいいのだろう?
アジアから来た留学生Mさんの、この言葉に
目が覚める思いだった。
「自分に告白しなさい!」
         −山田ズーニーさんが『おとなの小論文教室。』の中で