茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし

今日、お茶の研究会があった。私たちのグループは仙遊の式があたっていた。

2月から準備を始めて、ついに本日、終了。たくさんの方のお世話になって、やっと本番。

5人でやる花、炭、お香、濃茶、花月の組み合わさった1時間半の式。

心、精神面と技、点前作法の両輪が揃うように考えられたトレーニングとでも言えばいいのか。七事式と呼ばれているものの一つである。

5人の連携、協力と具体的な各点前、作法の習得が必要で、しかも5人揃わないと練習にならないので、なかなか苦労して、この3ヶ月ほど取り組んできた。

ぜいたくな遊びという人もいるだろう。たしかにそういう面がある。けれど、この一体感、まず花を生け、次に香炉に香を燻らし、本香、次香と二種類の香のただよう空間で濃茶を練り、回し飲みし、最後は花月と呼ばれるゲーム形式(月、花、一、二、三の5つの札が入っている折据(おりすえ)とよばれるケースから札を引く。月なら茶をいただく。花なら点前座に行って茶を点てる)で薄茶を点てる人、喫する人を決め、三服いただく。この一連の動きの中で相手への心配り、相手との連携を学び、身につけていく。

村田珠光足利義政から『そなたのやっている茶の道とはどういうものだ』と言われたときに、『茶は遊にあらず芸にあらず一味清浄法喜禅悦の境地にある』と答えた。
お茶は遊びや芸事ではなく、自分を清浄にして、言いかえるならば、禅僧たちが座禅の中で悟りの喜びを得るのと同じものである…その境地を得るための修練の方式として七事式をまとめたと物の本に書いてあるのだが、そのひとつがこの仙遊の式である。

お茶というのはお湯を湧かし抹茶を点てて喫するだけであるが、それは如何様にもできるのをある枠組みをつくり、その中での自由な編集、演出で相手を愉しませ、心をほどいての魂のふれあい的なことができればさらに愉しさが増す。そのときの相手へのふるまいの気働きとか、より良い構えとかを学ぶためのトレーニングとしてこの七事式があると私は思っているのだが、

とにかく実践してみるしかない、しかしいつでもどこでもできるわけではなくて人数の制約がある、場所の制約がある、そしてさらに茶道について学んできたギャラリーがいるのだ。そのステージで式をやることで身についていくのだ。

5人が心を一つにして取り組んだ1時間半。意味のある、価値のあるひとときであった。このひとときを持てたことを深く心から感謝する。