あれこれ

今朝の朝刊に、「もたない、すてない、ためこまない、身の丈生活」という本の広告があった。

家族4人。
一ヶ月の電気代500円。
水道代1400円。
家の電球は3つ。
生ゴミは、ひとつも出ない。
今日から始められる節約のヒントがいっぱい。

アズマ カナコ と書いてある。

あっ、あの人だ。

1年ほど前に買ったクロワッサン誌。

に紹介されていた人だ。


掃除は箒とハタキとちり取り。ご飯は土鍋で炊いておひつに保存。
アズマ家にある洗剤は石けんのみ。洗濯、洗顔、先発、食器洗いなどひとつの石けんを使い回す。
「子どもが生まれてから一度もティッシュは買っていない」端切れ布で代用。
骨董市で買った火のしで冬はアイロン掛け。中に炭火を入れて布類のしわを伸ばす。
昭和20〜30年代の婦人雑誌が愛読書。アズマさんがお手本にする昭和の暮らしがここにある。
一日にラジオを何度か聞いてパソコンを使うのは夜に一度。テレビは押し入れに入れて見るときだけ出す。

「大学時代に山登りをしてガスも電気もない山小屋で暮らしたときにおばあちゃんの生活を思い出したんです。山では洗い物は洗顔から洗濯、掃除まで水のみ。灯りもランタン一個を持ち運びながら過ごして、モノが少ないほうがラクだなって」


4/16の朝刊は14に出た福井地裁による関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めの仮処分決定を受けて関電の会長が再稼働すればすぐに値下げするからとコメントをつけて工場やビル向け電気料金を値上げしたが「長期にわたって値上げ料金のままでお願いせざるを得ない」と語り、仮処分決定の取り消しを求める手続きを急ぐ考えを示す。

関西経済連合会の記者会見では出席した副会長から差し止め決定に不満の声が相次いだ。

「声欄」には58歳の主婦の仮処分が合理的な根拠を欠く、安全審査に合格したという事実とそれに基づく行政の判断を覆すには科学的で合理的な根拠を地裁は示さなければならない。そうでなければ、司法の「傲岸」とのそしりさえ免れないのではないかとの意見。

関電の記事の横には洸陽電機という企業の会長のインタビュー記事。この会社は太陽光、小型水力、地熱などの自然エネルギーによる発電所を全国で建設し、新規参入の『新電力』会社として企業への電力販売を今年からはじめている。割安料金のため関電の値上げを受けて企業からの問い合わせが増えている。

「声欄」の下のザ・コラムは稲垣えみ子編集委員の担当。これが読ませる。

原発事故の後様々な家電製品を手放してきたが、ついに冷蔵庫まで電源を抜いた。転勤して神戸から東京に引っ越し、新しい住居はまさかのオール電化マンション。一生の不覚。神戸では月に千円以下になっていた電気代が一気に3千円を超えた。エアコンも掃除機も電子レンジもないのに煮炊きや風呂の湯沸かしに要する電気がスゴイ。悪いのは電力会社ばかりではなかろう。こんな家を「便利」「ガス代が節約できる」とせっせと売り買いしてきたのだ。それを原発が支えた。これが我々の自画像である。ヨシやってやろうじゃない「オール電化住宅における節電ってやつを。ターゲットはもう、ひとつしたかなかった。
たちまち困ったのはご飯の冷凍ができないこと。熟考の末「おひつ」を購入。これが想像以上の優れもの。日が経つとご飯が自然に乾く。腐らない。作り置きのおかずは寒いベランダで保存。残った食材は干し、漬けた。なかなか楽しいと喜んでいたら、春が近づくにつれ気づけば干し野菜はかび、おかずからは異臭。冷蔵庫の威力恐るべし。もはや買い物を減らすしかなかった。今日明日に食べきれる物を買う。となると、ほとんど何も買えない。人参とキャベツと油揚げを買ったら既に二日では食べきれぬ。帰宅途中にスーパーを一周しても家で待つ食材の顔を思い出し、そのまま退出する日が続く。欲しいから買うという娯楽は許されないのだ。
冷蔵庫とは時を止める装置であった。まずはいろいろ買い、とりあえず冷蔵庫。「いつか」の箱といってもいい。今は使わないが、いつか使う(かも)。冷蔵庫には将来の可能性がいっぱい詰まっている。
私はその可能性を捨てたのだ。残ったのはちっぽけな自分でだった。私が生きていくのに必要なものは意外なほど「ちょっとしか」なかったのである。
見渡せば私の周囲は「いつか」の夢でいっぱいだ。いつか着る服。いつか読む本。いつか行きたい場所。いつかに思いを巡らせ、思うにまかせぬ今を慰めてきた。気づけば、夢や欲望は際限なく広がり、今度は何もかもが足りなく思えてくる。
だが、いつかっていつだ?人生はしょせん、今日の積み重ねである。
今日必要なものだけを買う暮らしは実のところかなりつまらない。夢も希望もなかりけり。しかし生きるとはしょせんこの程度のことなのだ。
人間の苦しみの根源を見つめ続けた仏陀も「今、ここを生きよ」と言っている。人はたえず過去を後悔し、未来に心を悩ませる。だが、過去も未来もしょせんコントロールできないものだ。そんなことに悩んでいるから人生は苦しい。そんなヒマがあったら今を真剣に生きよ。
いつのまにか、仏の境地に近づいている私である。(所々、はしょっているので文責はtakikioにあり)


私も本気で節電に励もうと決意する青葉寒の今宵でした。