同感
内田樹さんに聞く(インタビューに応えたものを二人の記者が記事に)
今回の差し止め決定は民主主義の根幹である三権分立が機能し、司法の健全性を証明したといえる。
我が国の統治機構がシステムの内側から欠陥を補正できる「復元力」を持っている可能性を示した。
原発など国策にかかわる係争について戦後、司法は一貫して及び腰だった。福島の原発事故の経験から一歩踏み込んだ決定をする裁判長が現れたのは必然だろう。
この決定は国の意向を忖度した上級審の裁判官に覆される可能性を否定できないが、いまだ司法の独立を守ろうとする裁判官がいることを心強く思う。
政府と東電は原発事故がどうして起きたのか、どの程度の被害なのか、復旧と補償のためにどういう効果的な手立てを講じるつもりなのか、国民が納得できるような説明をしていない。その段階で経済的な理由で再稼働が持ち上がった。「ちょっと待て。少し頭を冷やせ」と告げるのはごく常識的な判断だ。
事故直後、国民の大半が思ったはずだ。経済成長優先の政策はもういい。それより日本の山河と国民の命を大事にすべきだと。しかし、経済の論理を優先させた政府は再稼働に舵を切った。失敗から何も学ぼうとしない、復元力のなさに私は絶望を感じた。
今回の決定を下した裁判長は昨年5月の大飯原発の運転差し止め判決で「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富である」との認識を示した。
国富とは金のことではなく、国土の保全と国民生活の安定のことであるという裁判長の見識に私は同意する。特定の政治イデオロギーによって管理されてはならず、投機の対象になることも許されない。
私たちは国富を傷つけることなく、未来世代に手渡す義務がある。目先の銭金のために、未来世代と共有すべき国富を損なうことは国民として決して許されない。
にもかかわらず、原発の立地自治体を含む社会全体を、「生活維持のためには原発は仕方ない」という諦観が覆っている。
今回の仮処分決定で直ちに楽観的になることはできないが、これを基礎としてれんがを一つひとつ積むようにシステムを補正していくしかない。
「私人」は目の前の損得を考えるが、「市民」は歴史の流れの中に自分を位置づけ、未来への責任を考える。これから生まれてくる世代に何を残すのか。それについて熟慮する機会を与えてくれたのだとしたら決定の意義は色あせることはないだろう。
朝日新聞大阪本社4月15日夕刊
原発の事故見て止める国あれば稼働続ける当事国あり
(川崎市 小島 敦)
朝日新聞大阪本社4月6日朝刊朝日歌壇
永田和宏選
原発事故「起こした」日本は続行し「知った」ドイツが廃止す原発
(交野市 遠藤 昭)
朝日新聞大阪本社4月6日朝刊朝日歌壇
高野公彦選