別れの春

最後の授業は何をやるか考えた。生物の内容はやめて、私が高校生だったときに知っていたらもう少しましな生き方ができていたのではと思うものを伝えたいと思った。

あれこれ考えて選んだのはある本の朗読。指導や解説は押しつけがましくていやだった。

山田ズーニー著「理解という名の愛がほしい−おとなの小論文教室Ⅱ」

レッスン1から24まである。そのうちの5まで読んだ。そこまでくるとタイトルの意味もわかる。

シーンとして聴いていたように思う。

この人はベネッセで高校生に小論文指導をしていた人。16年勤めた会社を辞め、独立への模索をしていたときにブログか何かで書いていたものが糸井重里氏の目にとまり『ほぼ日刊イトイ新聞』にコラムを書き始める。

全編、借り物の言葉はなく、自分の中で発酵させた言葉で紡ぐ。なので伝わる。自分の人生の作り方が書いてある。50歳過ぎて出会った本、これが高校の時に出会っていたらと読み終わった時に思ったものだ。

ささやかな私からのプレゼント。独りよがりで届かなかったかも知れないプレゼント。を、して授業を終わる。takikio、63歳を目前に控えた春。