『機械時計ない時代の記録』

朝日新聞土曜版の連載「磯田道史の備える歴史学」、毎週楽しみにしている。

今回は『機械時計ない時代の記録』

太陽の位置で時刻を知ったので晴れた日の日の出、日の入り、正午近くで起きた地震は発生時刻が正確に記録されるが、それ以外や曇った日や夜中に起きた地震はよくわからない。1662年の寛文京都地震では22例の古文書で比較したが差が3時間あった。

江戸時代で例外的な機械時計であった大名時計の目盛りは一刻(約120分)を10分の1に刻んだものが多い。最小の刻みで12分前後。分も秒もない世界でそれを表現しようとすると「距離にして◯丁歩む間」とか「茶を◯服たてる間」という他なかった。

本願寺興福寺など寺院関係の記録の中に地震の発生時刻を「◯つ半」「◯下刻」などと細かい時間単位で記録したものが含まれるのは香時計をもっていたからではないか。香の燃焼速度は意外に正確でこれを利用した香時計。一昼夜36時間燃えて狂いは30分以内だという。

前近代社会では身分による時間知識の差が絶大である。聖職者が鐘をついて時刻を下々の者に知らせる時間知識のエリートの地位を失ったときこそが近代社会の到来である。除夜の鐘は時間を知る僧侶が下々に新年到来という重大な時間知識を鐘をついて分け与えた時代の名残だ。

(適当に端折っているので文責はtakikioにあり)

おもしろい視点だなと思った。時間知識のエリートか、なるほど。