繋がる

昨年12月、神戸東灘にある香雪美術館であった熊倉功夫氏の講演会を聴き、そのあと梅園席であったお茶会でノンコウの香合「茨木童子」を拝見した。楽家の最高峰とされる名工、ノンコウによるその香合は白い楽焼きで精巧なつくりの鬼だった。その鬼の香合に何ゆえ「茨木童子」という銘がつくのか、理解できない私であった。また調べることもしなかった。

先日、8月11日のumryuyanagiさんのブログ「琵琶・茨木」を拝読して、やっと次第を知った。羅生門で腕を切り落とされた鬼「茨木童子」が失った片腕を老婆に変身して取り戻しに来る物語。

そして今朝。三日ほど前から、『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(後藤正治著)という本を読んでいる。私が「いいよ、茨木のり子の詩は。」というのを聞いて島根の友だちが先日泊まりに来たときこんな詩集を買ったと「わたくしたちの成就」を見せてくれた。一読して私も欲しいとすぐアマゾンに行ってついでにこれもと注文した本。後藤正治兵庫県定時制高校のボクシング部の顧問教師を主人公にしたノンフィクションで大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。その作品を読んでいいな、この人と思った。その人が彼女の「倚りかからず」で読者になり、彼女の死後さらに深い読者になり、書いた伝記。

清冽―詩人茨木のり子の肖像

清冽―詩人茨木のり子の肖像

今朝、半分近くまで来て、書いてあったこと。ペンネームの由来をある雑誌に彼女が書いているのを紹介している。

本名では何やら恥ずかしかったので、ペンネームをつけようと思い、「何がいいだろう?」と、二、三分考えていたとき、つけっぱなしにしていたラジオから謡曲の「茨木」が流れてきた。「ああ、これ、これ」と思って即座に決めた。のり子の方は、本名のまま、しっぽにくっつけてしまった。つい最近、観世栄夫氏にきいたところによると、謡曲に「茨木」というのはないそうで、長い間、謡曲と信じこんできたものは、あれは歌舞伎の長唄であったのだろうか。(中略)
鬼の我執というか、自我にあやかりたいと思って、ヒョイとつけたペンネームがその後長い間くっついてくることになろうとは、遂には茨木という判コまで必要になってこようとは、その時夢にも思わなかった。

鬼の我執というか、自我にあやかりたいと思ってというところが凄いし、素敵。

takikioのアンテナが ノンコウ→umryuyanagiさん→茨木のり子 と繋いでいった。こういうリンクのおもしろさ!生きていくって楽しいことも多いね。