心の洗濯

お茶を始めて十年余り。仕事をしていた頃は気分転換でしかなかった。退職後、さまざまに導かれ、出逢い、以前に比べ少し濃い楽しみになってきた。昨日、お仕覆の先生が南丹市園部の自宅で懐石料理の先生のご主人と主催されている茶事教室に友人を誘って参加した。

にわか茶人の私は作法もまちがいまくり、知っていることと身についていることのギャップを改めて痛感した。普段のお稽古をさらに励みたい。

そして改めて思ったのは茶事というのは亭主の人生を語るひとときなのだということであった。お道具で、お軸の墨跡の説明で、語られることから浮かび上がるライフストーリー。そのバックボーンがしっかりしているお茶事は深く心に入っていく。

むろん、お道具披露のお茶事もあってしかるべきだし、おいしいお茶を喫し、お料理に舌鼓をうち、美味しいお酒に酔い、一座建立の会話を楽しむ、様々なお茶事があってそれぞれに楽しめばよいのだが、亭主のお茶にまつわる人生が語られると心に届くものが深く、大げさに言うと生きててよかった、出会えてよかったと思える、一期一会になるのだなぁ。

本席の掛け物は立花大亀和尚の「何似」であった。人それぞれの解釈ができる深さがある。

最後にご主人による料理の解説もあった。初めて「芽芋」なるものをいただいた。真の茶事なのではじめに朱塗りの容器に入った精進料理が出る。焼き物は湯葉を使った鰻の蒲焼きふう。おもしろかった。