61歳の終わりに


16日から来ていた娘は今日、迎えに来たダンナさんと三重に帰っていった。

今、思い返すと娘は親子関係の修復の最後のチャンスとして帰省したのではなかったか。彼女が頭でそう考えてというより、彼女の心の奥底でそういう願望があって、知らず知らずにそんな風に神様が仕組んでくださったような気がする。それは私が心の奥底で望んでいることでもあった。

これは私たち母娘の絆再構築のチャンスである。娘に寄り添うこと。と、どこかでそう感じていた。

極力、用事で出ることを減らし、いっしょに過ごした。出産用品の買い物に2回一緒に外出した。車の中で、喫茶店で、私の部屋で、彼女の部屋でさまざまに話を聴いた。

自分のこれまでを振り返り、未知の出産への不安を語り、仕事を語り、夫への思い、父への思い、弟への思い、我が子へのスタンスを語り、複数回の流産への今の解釈を語り、私への思い・恨み辛みも。

昨夜、私の手を取って、「あした、お母さんと別れるのがさみしい。初めてと思う、そんなふうに思うのは。今までは娘の務めとして帰省していて、帰るときはこれで務め果たしたとさばさばして帰っていた。別れるのが辛いとは思わなかった。」と、涙声で言う。そうかぁ、そうだったのか。。。

十数年前に、彼女のメンタルの危機があり、そのときに当時の勤め先で少しは変容を起こしていた私は受け止めることは多少はできたと思っていたが、不十分で、不全感は残り、時にぎくしゃくして、お説教をして娘は不満を募らせるということの繰り返しだった。娘の言っていることに心から耳を傾けることがなかなかできなかった私。

娘が妊娠して、胎内に宿ったおチビちゃんと生活することで、対話することで娘自身にも変化があった。うちに燻ぼるのではなくて伝えて変えようとするリアクションがいると彼女が思ったこと。そして私も今までにはない祖母としての視点がめばえ、実のある命のバトンリレーを切望していること。娘も私も殻を壊したいと願ったこと。

赤ちゃんができるというのは本当にさまざまな変化をもたらすものなのだと改めて思う62歳の誕生日をあと数日で迎える私です。

そして、ツレアイはと言えば、少し拗ね気味。しかし、それもまた良しと思う私なのでありました。