思いは伝えなくてはいけない

今日は、娘がやっと父親に積年の恨み、思いを面と向かって言えた記念すべき日。

妊娠して、住んでいるところで出産するのだが、その前に一週間、実家でゆっくりしたいと帰省している。

我々夫婦はまぁ言えば、実の子どもたちに虐待をしてきたのである。手を挙げたこともあれば、ネグレクトもしてきた。娘に言われたことがある。「お母さんは私たちより生徒の方がかわいいんでしょう。ずっと大切なんでしょう。」

私との関係は私自身に変容があり、少しは修復されているが、完全ではない。しかし言いたいことを私には言えるようにはなっている。

父親に対してはこわさで仮面をかぶり続けてきた娘。しかし、妊娠し、どう子どもを育てていこうかどんな親になりたいか、自問自答する中で当然、自分の今までを振り返る。親に認められずに育った(失敗してもまるごと受け入れて包み込んでくれたのはおばあちゃんだけだった)私は自分で自分を受け入れられないでどんなに苦しんできたか。自分の子どもにはこんな思いを味あわせたくない。祖父母として孫にどう係わるのだろうか。不安で仕方がなかった娘。母親にはその辛さを伝えられたが父親には面と向かって言えず、溜に溜めて臨界に近づいていたのだ。

食事の時に、娘が言ったことに対し、つれあいが「そんな決めつけるような言い方をするな。」と言った途端、娘は切れた。「そういう決めつけをずっとしてきたのはお父さんじゃないか!」身体を震わせながら、言い返した。そして堰を切ったように今までの思いをぶつけた。

私も助けた。娘が親になろうとして殻を自分で割り始めているのだ。ツレアイの人間性が試されている。ここでつっぱねたら、あなたはそこまでの卑小な人間。

二対一で責めてくるのかとは言ったが、娘の必死さ、そしてその理路は筋が通っている。

「わかった。」と言った。「そうだったのか、悪かった。」と言った。

これは今までなかったこと。偉いよ、お父さん、よく言えました。心の中で拍手。

母になる娘の変容。強くなった。


その後、娘と二人で買い物に出る。出産用品を買い、立ち寄った本日開店のスーパーマーケットできれいな鰹が一本出ていた。娘と顔を見合わせ、お父さんにご褒美に買って帰ろうか。店の人に言って片身は刺身にもう一方はたたき用に皮をつけて捌いてもらう。

つれあいは上機嫌でたたきに今しておこうと台所に立つ。

良き日にできた幸せ。

思いはやはり伝えなくてはいけない。