新聞記事から 大江千里

最近、音沙汰無いなぁと思っていた大江千里が今朝の新聞に載っていた。『インタビューズ』というコラム。

「今、私は」「あの日」「大好き!」「気分爽快」「いつか」の5つのテーマで5日間続く。

地方版のコラムだと思う。先日は高校の後輩でもある明石市天文台学芸員が登場していたので。でも佐渡裕も取り上げられた。たぶん兵庫県にかかわる人を取り上げているのではないかな。

今日は「今、私は」。

47歳の秋、ショーウインドーに映る自分の姿を見て思ったのだ。「50になったとき、どこにいて、どんな顔をしているんだろう。笑っていたいな」。

人生は短くてやり直しはきかない。ページをめくりチャレンジし続けたい。60で赤いチャンチャンコ着て、かつてのヒットソング歌うのはいやだ。

自分の音楽には根っこの部分でやり残していることがある。それは10代の時に勉強しようと思って挫折したジャズ。

2008年に渡米。ニューヨークのジャズ専門の音大に入学。入学初日、オリエンテーションで即席のグループ組んで演奏させられた。弾き始めて気づく。みんなが出来ていることがぼくには出来ない。

ステージから降りてきたらさーっと人がいなくなった。さっきまでつるんで自己紹介し合っていたのに。僕だけぽつんととり残された。

2日目、クラス分けの試験に遅刻。頼み込んで理論も実技も一番低いレベルのクラスに入れてもらった。

授業が始まると最初にいわれた。「君の音楽はとても魅力的だ。でもそれはジャズじゃない。血を全部入れ替えないとね」。河内音頭で育った僕にはジャズと全く逆のリズムでカウントする癖があった。それじゃあ、スィングしない。

がんばれば何とかなると思っていた。取れるだけ単位取って早く卒業してやると。関学生(関西学院大学卒業)の頃、徹夜で英単語覚えたみたいに。でも、今の僕は20歳の同級生のようには走れなかった。

数ヶ月して、左腕の神経が、指から手首、ひじ、肩と全部マヒしてしまった。すごく悔しくて左腕に噛みついたが痛くなかった。試験をキャンセルして窓枠に挟んだゴムを引っ張るトレーニングをして治した。

ずっと、ジャズには特別な何かがあると思っていた。密室の中で手品みたいなものが行われていると。でも、4年半かかっってそれは間違いだとわかった。数学や図式のような理論があってそれをきっちりひもとけばよかった。

そんなとき、ニューヨークで東日本大震災のチャリティコンサートに出て、演奏してお客さんに拍手を頂く感覚を思い出した。

学ぶことは続ければいい。でも拍手によって鍛えられて答えが見つかることだってある。一番得意なことを誠意を込めてやるのが一番の学びだと気づいた。

日本を発つとき、卒業できたらアルバムを作りたかった。でも口にすると消えてしまいそうだったし、靴紐を結べないのに走っちゃ行けないと思っていた。昨年の冬、ようやく卒業のめどが立った。

パソコンで検索を始めた。マンハッタン、レコーディングスタジオ、チープ、リーズナブル---

(ほぼ記事通りだが勝手に言葉を換えたり、順番を変えたりしているところがある。文責はtakikioにあり。)

なんて勇気ある行動なんだ----この人の曲には特に関心は無く好きでも嫌いでもなかったけれど司会したり本出したり、多才な人だなとは思っていた。ゼロから出発できるなんて、私は今日から彼のファンになろう。