思わぬところにたどりついて

二つ目の庭のコダマスイカを今朝、採る。葉の勢いがないのと玉の成長がとまったように見えるので。。。一つ目よりふたまわりは小さい。

感謝してハサミを入れたか---今になって反省。

ゴーヤは小ぶりだが、5つ収穫。

散歩の後、庭に水をやって、コーヒーを入れてから、机に座り、日課を始める。
ほぼ日手帳をチェック。今日やることの確認。
手話辞典を開き、決めたページ数を覚える。
お茶やそれにまつわる読み物を何か読む。

今日は月刊誌8月号を読む。

末富の山口さんの談話。

「夏は涼しく、冬はあたたかにの利休さんの教えは和菓子流にいえば、あくまで「夏は涼しく」であって「夏は冷たく」ではないということになりますやろか。夏場のお菓子は冷たくするよりも、いかに「涼しきように」演出するかが心得になります。---略---そういえば最近、錦玉(錦玉、琥珀、どちらも寒天を煮溶かして砂糖を加えて煮詰めて、固めたもの、琥珀の方が煮詰め具合が多少きつい)の中にリアルにつくった金魚を泳がしたようなお菓子をよく見かけますが、いかがなものでしょうか。京菓子では生き物をそのものずばりの形にして表現することを嫌います。また、このようなお菓子を見て単純に「かわいい!」と喜ばれる向きが増えたことにも危機感を覚えます。想像力の欠如とは言い過ぎかも知れませんが---。錦玉に一粒の小豆を浮かせて金魚を思い描いていただくのが、本来の京菓子の世界なのです。」
いうてはることはよくわかる。でもそういう変化にどう歩み寄るかも大事やないやろか。無論こうやって伝えていくことが大切。願うのはそういう向きを切り捨てないでいただけたらなということである。

津田塾大学教授で小説家の三砂さんのエッセイ。

一年を通して着物で生活されている。

「夏きものを日常着として着ていると「おきもので暑いでしょう?」といわれるか、「きものって涼しいんですってね」といわれるか、のどちらかである。どちらもまちがっていない。---略--えり、脇、すそなど発汗するところがすべて外に開いており、「町屋構造」のように、風が抜けていくようになっているからである。---略---夏には持っている中で一番よいきものを惜しげもなく着ている。夏大島、いただいた芭蕉布、上布といった、暑い地方でおられた蝉の羽のようなきものはとにかく薄くて軽くて、なんといっても涼しい。もったいないけれど、夏の織物はこうやってたくさん着てこそ、その信じられないような手作業の果ての薄さ、軽さの真骨頂が楽しめるのではないか、と思い、カンボジアやブラジルへの出張にも着ていくのである。---略---むせかえる夏の、すべての生の充溢を今年もまた楽しむことができたことを感謝して、秋を待っている。」
先日のアンティーク市、芭蕉布の小さな小さな切れ端が2000円、3000円の値段がついていた。

めぐまれた人なんだな。

この人をググってみたら、とてもおもしろい人であることがわかった。薬学部を出た疫学者なのである。平川克美氏との対談もあった。

http://www.youtube.com/watch?v=GCe8igNmKiQ

ロンドン大学で学位を取りJICAの疫学専門家としてブラジルで15年暮らした実践もすごい人なのである。

「オニババ化する女たち」の著者。タイトルだけは記憶がある。読んでみよう。

というわけで思わぬところにたどりついて今日の書き込みを終わります。