プレゼント

大学時代の恩師の訃報が入り、通夜に行く。

四回生、修士と3年間、お世話になった。

バクテリアグルコース脱水素酵素のcofactorの構造決定の研究にのめり込んだ3年間。思えば自分が寝食忘れて目の前のことにのめり込む初めての経験だった。

クラブ活動も満足にやらず、燃えるということのなかった高校時代、夢中になるのは読書ぐらいだっただろうか。そんな自分に与えられた研究テーマ、先輩の仕事を前に進めて後輩に引き継ぐという責任。

ある条件で培養すると菌体外にcofactor活性のある物質を分泌することが前任者のときにわかっていたので私はその培養をスケールアップし、量を集めること、そしていつまでも分泌し続けるわけではないので培養をいつ止めるか、maxで止めるための判断(培養液を一定の時間ごとに採取し、この物質は蛍光をもつので特徴のある波長での吸収量を測定することで)ということになるとこのバクテリアによって私の生活はコントロールされるわけで土日もない、夜中にmaxをむかえ昼夜逆転になることもあるという生活の中で、味わう研究の手応え、担当教官との同志のような絆。21歳の小娘の感じた『おもしろいなぁ、すごいなぁ、』---生きる手応え。

生意気な私の言動に中身があれば対等に応えてくれた先生。

途中で激務の学生部長になられたので、私の判断にまかされることも多くなった。

このまま、研究生活をすすめることもできたけれど、先生はある製薬会社の研究所をすすめたが、私はまた生意気な判断で、微生物や物質相手ではなく、人間相手の教職で自分の狭い人間性を矯正(!!実際にこの言葉を使って考えていた私)しようと教員採用試験を受ける。

そうやって研究から離れたので先生とも縁遠くなった。

山岳部の出身で山をよく語り、研究室で登山もしたな。それが妙にインプットされていて結婚の判断にツレアイが山岳部だったということも影響されていると思う。音楽も好きでピアノを独学で弾く先生だった。お酒が大好きだった。酔うとドイツ語の歌を歌った。

心が綺麗で腹黒くない先生だった。交渉などと言う心理戦は苦手な人だったろうと思う。なので理学部長になり政治的判断も求められる仕事で体をこわした。

思えば私の人としての基礎づくりに大きく関わってくださった方であったことをあらためて実感し、感謝する。




息子さんの住む地で営まれたせいもあるだろう、参列者の少ない通夜が終わり
帰りかけたら、どうか残って父のことを少しでも皆で語ってやってほしいと言われ残る。

一つ上の先輩、三つ下の後輩といっしょに残ったのだが、これがとてもよかった。何十年かぶりで顔を合わせ、話をする中で見えてくるそれぞれの人生。あぁ、こんなひとときを我々にプレゼントして先生は旅だって行かれるのかと思った。