竹を業にして半生

今日は淡交会近畿第三地区の定期巡回講演会で黒田正玄さんの話を聞きに行く。

会場は自転車で行ける距離。といってもいつもの自転車ライフのいでたちはまずかろうとスーツに着替えて自転車をこぐ。海岸べりの市民会館。

千家十職竹細工・柄杓師黒田正玄家の13代。

質の良い竹を入手する苦労、120年に一回ある竹の開花その後の枯れについてこの120年というのは黒田家の記録から推定されること(その年に当たると将軍家に今年は竹の入手が困難を極めとことわり状を残している)青竹を白くするのに炭火を使い、何年も寝かせて十分乾燥させてこそ、時代の竹の花入れのあの飴色、チョコレート色が出ること、茶杓は最後にトクサで磨いてしあげていること、櫂先の裏に着いた抹茶の取り方、9代は早世し、困った8代は弟子を10代にするがこのときこの弟子はすでに妻帯し子もいたのに生木を裂くように離縁させ、跡を継がせる、10代の墓だけは別のところにあり、形が筍の形をしているのが子ども心に疑問だったが、10代の遺言(せめて墓は自分の思い通りに、実家の菩提寺に)だったことなどなど、当事者の話はやはり聴かせるものがある。

そのあとの呈茶は正玄さん作のお道具(荒磯竹棗、三友籠)が使われていた。


帰りは友人と合流し、喫茶店によって久しぶりのおしゃべり。

5時には帰るからというツレアイとの約束は果たせた。