12/30の新聞記事から
昨日紹介の「リスク社会」という用語を初めて使ったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックさんが写真入りで出ていた。
「リスク社会」に関する著作を書き終えたのは、チェルノブイリ原発事故の直前だった。未来像として描いたことが突如、現実のものとなり、ショックを受けた。
技術が進歩し、病気などのリスクを解決する手段は増えた。しかし、中世と現代とどちらが危険かを単純比較はできない。
「リスク社会」の特徴は技術が制御できないほどの新たなリスクを生んでしまうことだ。
原子力発電はその象徴で、ひとたび事故が起きれば、地域を超え、国、さらに世界全体に危機をもたらす。
19世紀から20世紀の半ば、リスクに対処するための社会的システムが生まれた。例えば、事故が起きれば病院に患者を運び、保険で費用をまかなう。ここではリスクは死者数で計測される。
だが、原発事故のようなケースでは、広い範囲に世代を超えて影響が続き、この考え方では対処できない。
チェルノブイリ事故後、ドイツでは放射能汚染だけでなく、文化的、社会的な汚染も起きた。(文化的、社会的な汚染って何が起こったのだろう。)放射能は目に見えない。専門家はそれぞれ違うことを言う。人々は明確な基準や情報がないまま、判断を強いられる。
安全を担うはずの専門家や国が危機を招いたことで不信も高まり、リスクを過大評価する人から過小評価する人まで、国が分断されていく。日本でも今、同じようなことが起きている。
ドイツではここから、人々が自ら判断能力や情報を身につけるようになり、母親たちを中心とした社会運動につながった。
政治的には紆余曲折もあったが、こうした背景もあり、福島の事故を受けて国が「脱原発」を決断するに至った。
金融危機でもわかるように、リスク社会では個人も国も、他者と大きく依存し合っている。情報をオープンにし、連携しなければ難局は乗り切れない。
日本の場合、広島や長崎の体験がその文化力の基礎になるだろう。危機は新しい可能性を生むきっかけにもなる。