今日届いた手紙

8月末に以前、職場が同じだった人たち二人との食事会をした。

大正時代に船舶業で財をなした人が建てたという日本家屋を○○ホテルと名前をつけ、橋本関雪が書いたというホテル名の額が部屋にあがっている明石大橋たもとの老舗旅館。その扁額はホテルに帆照という当て字を使い、みごとな筆の運びの字である。2、3年前から料理は懐石料理からイタリアンに変わった。畳の部屋に絨毯を敷いてテーブルをセットしている、おもしろいしつらえのところである。

評判を聞いて二人がそこを希望し、私が予約を取って、当日、おしゃべりと料理を楽しみ、記念の写真も撮って別れた。

すぐにプリントアウトし、送っておいた。一人はすぐメールで連絡があったがもう一人は結局なかった。忙しくしている人だし、そんなこともあるだろうと思ってそのうち忘れていた。

手紙によると当日別れて乗った電車の中でお父さんが入所している介護施設から「今、息が止まった状態で病院に搬送中」という電話を受け取り、駆けつけたものの亡くなった。それから通夜、葬式の手配。内輪で見送ることにして訃報は伏せたのだという。なのでまったく知らなかった。

彼女は栄養士、9月になったら給食が始まり、しかも地域で婦人会長をしていて敬老会、10月の秋祭り、11月の農林漁業祭と続き、四十九日の法事、百ケ日の納骨があり、とめまぐるしく日々が過ぎ、その間に何回もペンを持つものの中断してを繰り返し、ようやく完成した、写真のお礼が伝えられないままでこんなに遅くなってごめんなさいと書いてある手紙は6枚あった。なくしたお父さんへの思いも綴ってある。

いろんな人に出会ってきたが、この人も印象に残る人。誠実な仕事ぶりで、一緒に働いた4年間にまったく同じメニューというのは一度もなかった。似ているように思うメニューも必ずどこかに変化があった。ご飯は麦入り、インスタント食品は使わない主義、行事食も大切にし、季節の変化を食で伝えた人、家では4人の子どものお母さん。

教育を支えるたくさんの柱。

学校を離れた今は大切にしたい友人。