最近読んだもの

「なぜ競馬学校には茶道教室があるのか」
なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか: 勝利は綺麗なお辞儀から
友人からすすめられて購入。著者原千代江さんの凜とした生き方にぞくぞくっとした。この人は素敵である。きちんと生きていくために茶を学ぶのであるということがよくわかる。

「キラキラネームの大研究」
キラキラネームの大研究 (新潮新書)
序章  「キラキラネーム」という名のミステリー
第一章 なんでもありの「キラキラ界」
第二章 なぜ読みにくい命名をするのか
第三章 無理読みは伝統だった
第四章 言霊がつくったややこしい状況
第五章 「読めない名前」の近代史
第六章 明治期のエリートはなぜ珍名を好んだのか
第七章 ついに断層が見えてきた
終章  「感字」、侮るべからず

力作だった。

私は、自分自身がキラキラネームを前にして抱いてしまう違和感の正体を知りたかったがどうやら私は「キラキラネーム」というテーマを軽く見すぎていたようである。
調べていけば行くほど奥が深く、歩いて行くほど、原生林の雰囲気を漂わせるようになっていった。私が歩いていたのは鬱蒼とした得体の知れない森につながる道だったのだ。
キラキラネームという今どきの現象は、根源的でとんでもなく深い”言語の森”につながっていった。
そう気づいて以降は、「声に出す言葉の響き」と「漢字という文字」がせめぎあう、日本語の源流をめざす”旅”になった。やまとことばの言霊や古代の日本人の文字との格闘について思いをめぐらせたり、日本での漢字の歴史をしらべたり、足取りも重く、おろおろと道に迷いながら地図にない深い森を進むことになった。
日本語というものが、それこそ気の遠くなるほど長い歴史の中で培われ、今に至っていることの重さを思い知らされる旅となった。
そうした延々とした回り道の末に導き出した結論が、キラキラネームは明治以来の国語政策の落とし子ということだった。明治以降の国語政策−これがキラキラネームの母胎だった。つまり、キラキラネームは「炭鉱のカナリア」だったのである。
キラキラネームに対する批判として、漢字表記と読みの常識から大きく逸脱したこんな名づけが蔓延すると、日本語がめちゃくちゃに壊れていく恐れがある、と憤る声を耳にすることがある、しかし、それは因果関係を取り違えている。キラキラネームで日本語が壊れるのではなく、日本語の体系が壊れかけているから、キラキラネームが増殖しやすくなっているのだった。
私は今どきの親たちがこぞってキラキラネームをつける理由がわかったら、自分の中のモヤモヤは晴れるとずっと思っていた。だが、今こうやってその理由がわかっても違和感は少しも解消されず、相変わらず私の中に居残ってしまっている。
それはそうだ。キラキラネームは「炭鉱のカナリア」であって、事の本質は、現代の日本語社会全般に及ぶ問題だったからだ。私たちは無自覚のうちになんと国語政策に翻弄されてきたことであろう。
(略)
近代化に前のめりになっていた当時の人々はおそらくそのとき気づいていなかったのだ。日本語において漢字がどれほど重要な役割をになっているのかを。
とくに戦後の国語国字改革(漢字の制限、音訓の整理、字体の変更)は古代から複雑な重層構造をつくってきた漢字の歴史とのつながりを断ち切るものだった。戦前の難読名と最近のキラキラネームとは一見似ているが、両者の間には、歴史的な漢字の体型との断絶が横たわっている。終章の一部を抜き書き。文責はtakikioにあり。

この本で織田信長が子どもに付けた幼名を知った。
嫡男:奇妙丸 次男:茶筅丸 三男:三七 四男:於次丸 五男:坊丸 六男:大洞 七男:小洞 九男:人 十男:良好 十一男:縁
やはり変わった思考をする人だったんだな、彼は。

「火花」「スクラップ・アンド・ビルド」
文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]
今年の芥川賞受賞作。
後者の方が日本語がこなれていて読みやすかった。そして老化のスピードをゆるめるのに負荷が大変有効ということがあらためてわかった。孫が祖父に対する対応から派生して様々なことを試みるのだが、体と心は不即不離ということがこれまた改めてよくわかり、参考になった。
前者はこなれはよくない。しかし、愚直でとてもいとおしいものを感じさせてやはりこの人はいいなぁと思わせた。