今日は立秋

孫が7/31に来て今日帰った。今日で二歳三ヶ月。

この子が二十歳になったとき、私は83歳だ。それまで生きていよう。凜と生きていよう。


いる間、新聞も満足に読めなかった。テレビも見なかった。お母さんと一緒はたっぷり見たけど。二歳過ぎるとここまで活発になるのかと驚く日々だった。

もちろん、読書も、この子が起きている間は。

来ている間にamazonの古本で注文した本があいついで二冊来た。一冊は水村美苗の「母の遺産」、もう一冊は又吉直樹の「第2図書係補佐」。

夜中に起きて読み始めた。「母の遺産」がまず届いたので1時間ほど読む。次の日「第2図書係補佐」が届く。同時並行で3時間ほど読んだ。3時間読んでも睡眠時間は7時間以上取っていていつもの暮らしより長い。。。「母の遺産」は読んで楽しいわけではなく、少しつらい小説であるのが、「第2図書係補佐」を読んでとても癒やされ、じわーっとしてから、また「母の遺産」を読むの繰り返し。

又吉直樹のすっかりとりこになっている。この人はいい。「第2図書係補佐」の最後に又吉と作家中村文則の対談がある。その中で中村文則が言っていることに共感したので、端折りながら書き写す。したがって文責はtakikioにあり。

純文学っていうものをたくさん読んだ人っていうのは、自分の内面に自然と海みたいなものが出来上がるんです。で、それは作家になるとかお笑い芸人になるとか、もちろんそれ以外のいろんな職業の人達にとっても、非常に素晴らしいものなんですよ。つまりいろんな角度から物事を考えられるようになる。作家というのは書きたい思想っていうのをまず書いて、でも自分とは反対の意見もわざと書くんです。普通、書き手というのは自分の世界の中で、自分の思い通りにやるものなんだけれど、自分と反対の意見もわざと書いて戦わせるんですよ。戦わせたままの状況を”多声性”といって純文学特有のものなんだけれど、言い方を変えれば、いろんな考え方を自分の中にほおりこむということになるんです。それができると、コント作りに対してもいろんな考え方を取り入れたり、いろんな人に憑依できる。又吉くんはたくさんの本を読んだことで海みたいなものが出来上がっていて、又吉くんが元々持っている才能が表に出る際にその海を通過しているように思うんです。それは又吉くん自身も意識してないかも知れないけど、通過することによってああいう一風変わったものが生まれてくるんじゃないかと僕は勝手に思ったわけです。このコントはこのシーンからっていう直接的な影響ではないにしろね。それは僕が本をすごく読んでいる人からいつも感じられることなんですよ。そういう変な海を持っている人は芸人さんに限らず面白い。どんな職業の人でもね。もちろん僕は映画や漫画も大好きなんだけれど、たくさん小説を読んでいる人にできる変な海は、どんな職業の人にでも何かしら役に立つと思う。その海が、又吉くんの場合は芸人というかたちになって役に立ってくれていたら、一応、僕も作家という職業をしているので嬉しいなとは思うんだけれど


中村文則という人はこの対談で始めて名前を知ったのだが、調べてみると誰かが褒めていた「掏摸」という小説を書いた人だった。そして「土の中の子ども」で芥川賞を取っている人だった。賞を取ったとき読みたいと思った小説だったが、あれを書いた人なのだ。児童虐待を題材にしているのではなかったかしらん。
この人のサイトに行くと、最後に『お手紙等くださる方々、本当にありがとうございます。大切に保管し励みにしています。共に生きましょう。』と書いてあってさらに好感を持った。