遊びに遊ぶ

又吉直樹芥川賞に決まる。よかった、よかった。

一昨日、大阪に出たついでに、この交通費一回分を何回か分にしておこうと、あちこち寄る。

そもそもの用事はお茶会。茶道具やさん何軒かで年に3回催されているもの。売り物のお道具を使って行われるので見応えがある

待合の掛け軸は老人が長い柄を重たげに担いでいる。柄の頭は字「辛」この字の下の部分の十がながーく伸びている。「しんぼう」と読ませる。幕末、維新の時代に苦労した何代目かの三井家当主による。

本席の軸は狩野探幽の弟による軽妙な墨絵の托鉢僧の絵に江雪和尚の賛。内容は托鉢で回る家々の対応が様々であるが云々かんぬん(すみません、忘れてしまいました---)諸荘の花入れは時代の鉄鉢。内部は金鍍金されていてところどころハゲているのが味になっている。

茶杓は石州流を学んだ稲葉家の何代目かの殿様の作。銘はないが新知見は石州流では茶杓のことを逆樋(さかひ)というとのこと。筒を入れる箱に音曲と書いてあるので銘ではないかと尋ねると茶杓でいう音曲はかすかな曲がりのあるものという意味だそうで曲の調べのようにたゆたう様子に茶杓の曲がりをなぞらえたとのこと。ゆかしい表現にうっとり。

去年のこの席の茶杓を思い出した。「天の河」という銘で裏千家七代の竺叟の作で樋が深く、節のところに小さな小さな瘤が二つ付いている。これが牽牛織女。樋に隔てられという見立て。

茶碗も楽しかった。仁清の作というのがあったがまったく絵はなく無地で形が言われてみれば洒脱であった。

薄茶二服いただき、点心を別室で。食べ終わったら11時過ぎであった。一番早い席で予約して正解。この会場から近いところにある湯木美術館に向けて歩く。

「小さな茶道具の豊かなデザイン−香合・羽箒・炭斗をみてみよう」

茶の湯ではお茶を点てる「点前」はもちろん、風炉・炉に炭をつぎ、湯合を整える「炭手前」も客前で行われます。茶の湯が行われ始めた頃、炭をつぐことは茶席に人がいない間に行うべきこととされていましたが、千利休が活躍した頃から客前で炭手前が行われるようになりました。炭手前によりここで使われる「炭道具」への注目が高まりました。
炭道具のうち香合は茶席で香炉が使われなくなる16世紀末から茶席で使われ始め、唐物の塗物や交趾や染付といった焼物が見立てられています。和物は化粧用の小箱の転用や塗物の香合が制作され始め、さらに美濃や京都などでさまざまな香合が焼かれるなど、バリエーションが広がっていきます。江戸時代後期には香合のランキング「形物香合番付」が刊行されたことからも、香合の多様性と人気ぶりがうかがえます。
炭斗は唐物の組物などが転用されていましたが、後に唐物を写した日本製の組物や瓢の炭斗がつくられるようになりました。
羽箒は儀礼道具としての見方もあり、大名茶人らが熱心にこだわったようで特に古いものでは小堀遠州自作の鶴の羽箒などが伝わっています。
鐶や火箸、灰匙なども細かい装飾や蒔絵や象嵌が施され、客の視線が意識されていたことがわかります。

とパンフレットに紹介されている道具が適度な数、展示されて(なので、私は湯木美術館が好き。疲れない。)いた。羽箒が5種展示されていたが、野雁、白冠(はっかん)など初めて目にし、この美しさは炭手前でのアクセントになるなと実感した。

仁清作の香合が二点展示されていて、東福門院和子所持の色絵結文香合の大きさに圧倒され、色絵冊子若紫香合の美しさ愛らしさにため息が出た。源氏物語の若紫の段の書物を形取った物で綴じ紐も赤できちんと描かれアクセントになっていた。

銹絵染め付け槍梅香合を見たが尾形深省作、深省とは乾山のことだった。

この時点で12時半。地下鉄に乗って大阪に出、JRで三宮に向かう。神戸国際会館の11階にある映画館でシネマ歌舞伎をやっているのだった。春に会った中学校の同級生にお薦めとパンフレットをもらっていたのになかなか行けなくて大阪の帰りに寄ってみてはと思いついたのだった。

13時50分から勘九郎七之助尾上松也による「三人吉三」。監督は串田和美。これがものすごく面白かった。
河竹黙阿弥原作。荒唐無稽のあらすじなのだが、魅せる見せる。三人吉三は何やら悪党の話だとは思っていたが、そして口上も大人が使うのを聞いて馴染んでいたが、こんな想像を絶する筋書きとは思っていなかった。
それにしても歌舞伎というのはものすごく芸が練られているのだということが実感できた。舞台だと遠く離れているので表情まではよくわからないが映画はアップで迫るので、どれだけ目で口で眉で手で指先で演技するか巧いのだ、どの役者も。間合いも絶妙。滑舌のすばらしさ。お坊吉三の父親は笹野高史が演じるのだがこの人の巧さも際立つ。
鳥肌モノだった。あっという間に時間が経った。次は8月の終わりに上映されるクドカンの「大江戸リビングデッド」を絶対見に行こう。

と-----思い切り遊んで一日が暮れた。