やっと たっぷり 会う

先日、あべのハルカス美術館の半泥子に会いに行った。

2012年、津の娘夫婦を訪ねたときに念願の石水博物館に足を伸ばした。「石水所蔵名品展−新三重県指定文化財 古伊賀水指 銘「鬼の首」を中心に−」という展示をやっていた。この水指は半泥子の愛蔵品でこの年、県の文化財指定をうけたのだった。

桃山時代につくられたこの水指は親交の深かった京都の美術商土橋玄庵に懇願して譲り受けた。その経緯を外箱の蓋裏に「玄庵老愛蔵なりしを金婚式に招かれし日ニ割愛されし嬉しさに 鬼の首とって帰るや五月晴れ また古伊賀叶ふたわたしの思ひ胸のどうきも 鷹が峯」と書き、「鬼の首」と命銘した。そして写しまでつくっている半泥子のだだっ子のような一念。
古伊賀叶ふた---恋が叶ふた 鷹が峯---光悦、乾山に心酔したこの人ならでは
言葉遊びがふんだんにこの人の人生を晩年まで彩る。 

(今回ハルカスではこのふたつが並べて展示してあった。)

そして生後一歳で祖父と父を失い、母はまだ若く婚家にひきとめるのは気の毒であるとして実家に返し、幼い半泥子を育てた祖母の遺訓、半泥子21歳の誕生日に授かった祖母の遺書ともいうべきものには、家のこと家財のことには一切触れず「われをほむるものハあくまとおもうべし、我をそしる者ハ善知識と思ふべし、只何事にも我を忘れたるが第一也」と書いてあり、半泥子の生涯の精神的支柱になったというのも何やらハッとする話で、

同時開催の第二展示室では「川喜田半泥子とその周辺−半泥子筆「広永絵巻」に見る半泥子旧作展」としてその絵巻物と何点かの作品があった。

すっかり虜になり、2009年から2010年にかけて全国5つの会場で開かれたという「川喜田半泥子のすべて」展の分厚い図録を入手。みればみるほど、読めば読むほど、この目で見たいという思いが募っていたのがやっと実現。そしてまたしても、今回の図録を買ってしまう。雑誌「なごみ」の半泥子特集のときも買ってしまったし---。


2012年に訪れた際に「半泥子に遭う」と題してブログに綴っていたことを以下に文字色を変えてコピーペースト。

私はマチスが大好きであるが、半泥子の作品は陶芸にしても書にしても絵にしても通じるものを持っている。リズムがあるというか、止まっていても動いているというか、感性に飛び込んでくるというか。

どんな人物かを伝えるのに書が適しているのではないか。むろん書体がすごいのだが、何を書いたかも重要である。
欧文を意訳している。
「波和遊」How are you?
「喊阿厳」Come again.
「大夢出門」Time is money.
「慶世羅世羅」ケセラセラ
「愛夢倶楽通志友」I'm glad to see you.

抜群のウィットとユーモアなのである。

伊勢木綿を扱う豪商の16代目当主。後に百五銀行の頭取、会長。実業家としての手腕も発揮しながら、自由闊達に、美しい遊び方をした。

号は半泥子のほかに無茶法師、其飯(そのまま)(きはん)、66歳でバカヤロウと人に怒鳴られ、ナルホドと悟ったことから、莫加椰盧、鳴穂堂。

この自由奔放はどのように身につけていったのだろう。幼少時からその片鱗があったのか。両親ではなく祖母に育てられる身の上で。

すると図録にあった。ということは今回のハルカスの展示の中にもあったのだな。覚えていない。。。。だから、気に入った展覧会はやはり図録を買っておく意味がある。

祖母・政が人間的成長を願って若いときから参禅させている。その中で出会った勝嶺大徹禅師に内観法を授かり、この心身修養法によって、心身ともに弱々しく悲観的で愚痴が多かったのが変わってきたとのこと。

そしてこの禅との出会いで茶の湯の根本を学び、形式張ったことや作為を嫌い、ありのまま自然体であることを良しとした。

そして今回の展覧会では出口近くに晩年半泥子がかかわった広永窯の作家たちの作品も展示してあるのだが、生業でつくる人と、ひたすら芸術追究の人との違いがわかる。

『昭和の光悦、東の魯山人、西の半泥子』と言われた。

光悦に深く傾倒した半泥子だが、『本阿弥行状記』にある「我が身をかろくもてなし、一類眷属のおごりをいましめ住宅麁相----」「鷹が峯によき土を見たくて折々拵へ侍る計にて、強いて名を陶器にてあぐる心露いささかなし」「人の好く道具は他にやり---、新しく出でくるものも、なりふりすぐれたる今焼きものをよろこび---」などと記された箇所に強く共感している。
また、乾山についても「正直で親切で又律儀で人情深く徳義を重んずる」と察し、「こんな克明で馬鹿正直ともいえる一面、又コダワリのない性格がその作品に窺われる」と評している。そして「光悦や乾山の作品を見るには上手下手は度外にして其人達の深い教養と高潔な人柄から来る器格を貴ぶべきであり又親しむべきだと思います」と記している。



粉引茶碗 銘「雪の曙」
図録からの撮影がうまくいかなくてスミマセン。