犬も歩けば棒に当たる京都
建仁寺の後、歩いて東山三条のバス停に向かう。約束の時間までに少し時間がある。周辺をブラブラする。
辻留のお店も眼に入る。
水無月のおいしそうなお菓子屋さんがある筋を先まで行くと並河靖之記念館があった。
http://www8.plala.or.jp/nayspo/
明治期から昭和初期にかけて活躍した、日本を代表する七宝家であり帝室技芸員にも任命された並河靖之の自宅兼工房が並河靖之七宝記念館。
京都は東山、三条神宮道を一筋上った白川沿いに建つ虫籠窓、駒寄せ、一文字瓦を伝える明治時代の町家である。上記HPよりコピーペースト
並河靖之。一昨年、三年坂美術館で初めて目にした名前。
http://d.hatena.ne.jp/takikio/20120623
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短時間の訪問であったが、有線七宝の製造工程が展示され、気の遠くなるような細かい作業を何段階もへての作品ということがよくわかる。
釉薬と釉薬のしきりの箔は銅版に最初に墨で描かれた線の上に貼り付けられるがその糊に使われたのが紫蘭の根をすりつぶしたモノと書いてあったのも興味深かった。
並河夫妻には実子はなく、養女をもらうが後年その養女が養父を語る言葉が抜粋されて展示してあった。要約すると「外面がよく謙虚でにこやかで人を篤く遇したが家庭では、全くのエゴイスト、自分のことしか考えていなかった父であった」とのこと。
並河靖之はとてもハンサムな顔立ちであるが、どうも少し偏りのある性格の人であったらしい。
展示作品の撮影は禁止でこれは庭から撮ったもの。庭は自由に撮影できる。
庭の犬走りには所々に方広寺の古瓦が使われていた。
方広寺をぐぐってみると興味深い史実にヒットする。松永弾正の焼き討ちで焼損した東大寺の大仏に変わる大仏、大仏殿を造立することを豊臣秀吉が発願してつくられた寺で造られた大仏は東大寺の大仏をしのぎ19mの高さだったらしい。そして完成の翌年に発生した慶長伏見地震により倒壊した。このとき秀吉は「自らの身をも守れないのか」と大仏に対し激怒したと伝えられている。
どのような経緯でその方広寺の古瓦が並河家の犬走りに使われたのか、経緯の説明があったが、読まなかったのが悔やまれる。
ここは並河の住まいでもあったので台所も見ることができ、撮影可能であった。
濃い時間を過ごせた半日であった。
追伸
並河靖之の作品を東京の三井記念美術館で開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋−村田コレクション一挙公開」で見ることができるようだ。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html