目にとまった新聞記事より

9/11の朝日新聞の「CM天気図」という天野祐吉さんのコラム。

これからオリンピックに便乗するCMがどっと出てくるだろうけれど、野暮なのはやめて粋にやろうよ。前回の東京オリンピックの時にサントリーのトリスウィスキーの新聞広告。

みんな、山を見る
オレ、川を見る
みんな、東京に集まる
オレ、旅に出る
テレビで観る
トリス飲む

当時宣伝部にいた山口瞳氏のコピー。
そのコピーに旅先の宿でトリスを飲みながらオリンピック中継を見ているアンクルトリスの絵。そこにあるのはブームに背を向けてもオリンピックはちゃんと見ているぜという男の姿。粋だねえ。

大意。部分取り。言葉を端折っているので文責はtakikioにあり。

その横の「リレーおぴにおん アートdeチェンジ」というコラム。

エリイさん(若手芸術家集団チンポム所属)へのインタビュー。

「気合い100連発」という作品。東北大震災直後に福島県相馬市で撮った映像作品。現地で出会った地元の男の子たちとぶっつけ本番で完成させた。

円陣を組んで、一人ずつ気合を発していく。「復興頑張るぞ」から始めて次第にアドリブに追われて「車欲しい!」とか「彼女欲しい!」などと出てくる。ニューヨークを含む国内外で上映したが多くの人が見て泣いた。
被災者の本音が出て、見ている人が震災のリアルさを感じ、心を震わせたのではないか。現代美術で今みんなで一緒に現代を共有している感覚を表現したい。自分のライバルは他の誰かではなく一手間をかける気力。普段は面倒くさがり屋だが美術のためならあらゆることをやる。

大意。部分取り。言葉を端折っているので文責はtakikioにあり。

9/12のオピニオン。東京オリンピック社会学者、開沼博さん。

福島を見せる大きなチャンス。二つの意義。一つはいいところを見せる。五輪までの7年間でどこまでいいところをつくっていけるか。もう一つは「悪いところを世界に監視してもらう」可能性が開かれる。汚染水など復興の問題が日本社会から消えないよう、釘を刺すために外の視線は利用可能。

今年、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の跡地をめぐるツアーに参加した。災害や戦争の跡地など人類の悲しみを観光の対象にしたダークツーリズム。25年以上の月日が流れ、地元では事故の記憶をみんなで引き受けなくてはいけないという思いがある。

日本もどこの誰に自己の責任があったかという問いかけではなく、国民みんなが解決策にコミットするという責任の持ち方が最終的に必要だ。

私は今、仲間とともに福島のダークツーリズム構想を打ち上げている。

チェルノブイリのツアーは昨年、ウクライナポーランドが共催したサッカーの欧州選手権の後、大勢が訪れた。

2020年は震災から10年近く。悲劇の記憶がどこまで残っているか。福島を世界に発信する環境づくりが五輪を機にできるかも知れない。そしてこの構想の帰結には個人的にはこだわらない。なぜなら、いかに福島について議論の場をつくっていくかが主眼だからだ。

外の人が継続的に考える回路を持つのは難しい。このままでは神妙な顔で「かわいそう」と言っていればOKみたいな感じだ。

現実は遅れている部分もあるし、速すぎる部分もある。復興予算はすごい規模とスピードで使われている一方で、流用もあれば、地元のニーズとずれているケースもある。解像度をあげてものごとを見る必要がある。

五輪に引っかけたダークツーリズムは解像度を上げる手段として使える。

見出しは「福島 世界に見てもらおう」。

大意。部分取り。言葉を端折っているので文責はtakikioにあり。