夏の読書

いつか歴史を勉強し直さなくてはという思いがずっとある。特に日本史。
手っ取り早く子どもに買ったマンガ日本の歴史を読んでいこうかと本気で思っていたが、宮尾登美子さんの「東福門院和子の涙」を何かの弾みで注文して読み始めたら、おもしろくてやめられない。

この人の小説は新聞小説「きのね」で夢中になり、毎朝これが楽しみで起きるようなときがあったが、「藏」は皆さんが言うほど惹きつけられず、そしてどんどん人気作家となり、露出度も増すほどになぜかそう読んでみたいと思わなくなっていた。

ところが、一昨年、「松風の家」を読んで夢中になり、玄々斎、又玅斎、圓能斎、淡々斎のあたりが映画でも観るように私の中に定着した。泣きながら読んだところもある。すごい筆力の人なのだとあらためて実感した。

熊倉功夫氏の講演を聴くことがあり、次に読むとしたら「東福門院和子の涙」だなと思っていたが重い腰があがらず、それがひょんなことから先日注文。読み始めたらとまらない。

どうして読む気になったか、やっと思い出した(これを書いた昨夜は思い出せなかった。。。)。淡交タイムスに茶の湯人物伝を連載中の村井康彦氏が7月号に東福門院を取り上げたのだ。【研究歴の中で一番印象に残っているものをあげよと言われたら40年前に見た光雲寺に残る東福門院の念持舎利塔をあげる。おさめられた厨子の扉を開けた途端、目に飛び込んできたのは仏舎利塔の台座のあざやかな朱色とそこに描かれた金泥の文様−「菊」とそれを抱くように左右に配された二つの「葵」だった。菊=朝廷、葵=幕府の共存を願った女院の思いを示したものであったことは言うまでもない。寛永文化(江戸初期、後水尾天皇東福門院を中心に展開した宮廷文化。)40年前の当時は寛永文化を反幕感情を基調に理解するのが一般的であったが、この「菊と葵」の文様はそうした見方に再検討を迫るきっかけになった。今日では対立と妥協といった両面から理解するのが常識になっている。門跡・公家衆にとどまらず上層町衆にひろがりをみせたのもこの宮廷文化の特徴であった。】(【 】の文責はtakikioにあり。)あぁ、読まなくてはと思い、注文。

大河ドラマ「江」につながり、菊池寛の「忠直卿行状記」につながり、千姫につながり、醍醐の花見につながり、etc、私のもやのかかったあさはかな知識がつながりはじめる。そのうち宗旦も登場するはず。

和子はそのまま「かずこ」と読むと思っていたら「まさこ」だった。



今朝の一面の記事
汚染水封じ込め窮地
事故で溶けた燃料を冷やした水に地下水が混ざり、1日約400トンずつ汚染水が増えている。浄化装置で放射性物質を取り除いているが完全に取り切れないため敷地内のタンクに溜め続けている。7/30現在で42万トン。。。