雛人形と嫁入り道具と地唄舞

友に誘われて川西市郷土館に行ってきた。
尼崎で宝塚線に乗り換え、川西池田駅でおりて能勢電鉄に乗り換え、山下という駅で降りる。清和源氏発祥の地で歴史のある地域であるが、はじめて行く。

昭和初期の花嫁衣装展&ひな人形展に加えて、「昔着物で江戸を舞う」と題した地唄舞があったのだ。

川西の美術ギャラリーのオーナーのお母さんの花嫁衣装。昭和14年11月に大阪船場の玩具商が娘のために整えた婚礼衣装、道具の数々、100点あまり。着物、帯、帯留め、箪笥、工芸品、荷物目録等々。

戦争が近づく手前の支度でまだまだ派手なことが許されていた時代。1年違うと早、緊縮ムード一色になった。というのは地唄舞の一番手は95歳(!)の方で、昭和15年に嫁入りされたそうだが、色を抑えた留め袖、そのご自分の花嫁衣装を着て舞われた。

展示スペースの真ん中には大正時代の雛人形が飾られ、その前で地唄舞

江戸時代の大阪の年中行事を歌った「浪花12月」という地唄を生歌三味線で9人の舞手で。中にお一人だけ踊りの名取りが入られ、舞と踊りの違いがわかるように仕組んでくださっていた。

舞は神に奉納するというルーツ、踊りは民衆の祭りにルーツがあって言わば飛び跳ねる。

あらためてほーぉと思った。

また、郷土館は銅の精錬を生業にしていた平安家の旧邸宅。このあたりは多田銀銅山と呼ばれ川西、猪名川、宝塚から池田にかけて鉱脈が走っている。最盛期は桃山から江戸前期。平安家は昭和10年頃まで操業していたとのこと。

兵庫県の鉱業は生野、明延(あけのべ)しか、学校で習わなかった気がする。

花嫁衣装の出展者の方も来られていて、今廃れようとしている日本の工芸の巧みさを皆さんに知ってほしくて去年からこの時期に出展されているとのこと。

嫁入り道具の一つ、周囲に版木蒔絵が施された火鉢。版木蒔絵なるものを初めて見た。三十六歌仙の実際に使われていた版木に蒔絵が施されている。したがって字が反転している。

花嫁の夫、出品者のお父さんは浮田光治といって日本手拭いのコレクターとして知られた人で、とにかくきちんと整理して残す人であったようで、お父さんのお陰で今、こんな展示ができるのだとあらためて思っていると言われた。

贅沢な時間を過ごせて友に感謝。