鏡の中の自分が見えない−ゆがんだ自画像が日本をダメにする

今日の朝刊に「グローバル時代に日本が生き残る道」と題したシンポジウムの内容紹介が掲載されている。

そこで浜矩子さんが上記のタイトルで基調講演をした。

ハリーポッターの物語に出てくる「みぞの鏡」、自分の望む理想の姿が映る恐ろしい鏡。鏡の前から離れたくなくなる。

今の日本で人々が見ているのは高度成長期を中心とした若き時代の姿。頑張っただけ経済成長率は上がり、がんがん働き、欧米諸国から「エコノミックアニマル」と呼ばれた。

このころの日本経済は「フローはあるがストックはない」と言われた。フローは勢い、経済成長力。ストックは蓄え、富、資産。

今の日本は鏡の中にあの頃の自分を見て、本当の姿を見ていない状態である。「成長戦略がなければ日本はどこにもいけない」という言い方は鏡の中の自分が見えない現状が集約されて現れている。

確かに今の日本は勢いがなくなってきている。しかし、蓄えは世界で最大規模に達した。交通網の充実ぶりなど生活インフラのレベルの高さを見ても成熟度はすさまじい。「ストックはあるが、フローがない」状態。

ここまで成熟した日本が経済規模において中国に抜かれるのは当たり前。成熟を受け止め、それにふさわしい展開を考えていく必要がある。

鏡の中に見るべきものは何か。

私はこれを老楽国家(おいらくこっか)と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。

老楽国家を成り立たせる概念は二つある。
一つ目は「シェアからシェアへ」
二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性(包容力)の出会い」

シェアは二つ意味がある。一つは奪い合うシェア。もう一つは分かち合い。

老楽国家では奪い合いのシェアから分かち合いのシェアへの切り替えがいる。

多様性と包摂性の出会いは座標平面をイメージして縦軸が包摂性、横軸が多様性。右上の包摂性も多様性も高い、第一象限が理想郷だ。そこに我々は行きたい。

グローバル時代にここまで成熟した経済社会は日本しかない。

鏡の中の本当の自分の姿が見えるようになったとき、我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。

皆さんの力でそのパフォーマンスができるようになることを切に希望する。

(言葉を端折ったりしているので文責はtakikioにあり)

このシンポジウムは性別や年齢、国籍を超え、多様な人材を生かすダイバーシティーの推進を考えるという目的で開かれたものらしい。女性の社会進出の話題に多くを割いている。

ダイバーシティー、始めて知った言葉。

浜さんは例えを上手に使ってわかりやすい話をする人だ。いつも感心する。