中国陶磁名品展その5(最後)

第四章 景徳鎮窯における色彩と文様の栄華
1206年に興った北方遊牧民モンゴル帝国はまたたく間にユーラシア大陸を席巻し、1279年には金と南宋が対峙する中国をも組み込んだ。元がそれであるが政治的混乱や農民反乱などによって弱体化し、モンゴル高原に退却し、1368年に漢族の明王朝が成立した。満州族女真族)が1616年に建国した後金(のちに清)は、1644年の明の滅亡を機に中国を支配下に入れ、北アジアから中央アジアまで統治する大帝国をつくりあげた。
元時代後半には青磁に加え、白磁にコバルト顔料で絵付けした青花磁器が景徳鎮窯で誕生した。明時代になると、景徳鎮窯に設けられた官窯で宮廷用什器が作られ、青花磁器とともに、青・赤・着・緑・黒の絵具で彩色された色鮮やかな五彩磁器が高度に発達した。明時代後期には、輸出用の粗製の青花磁器や五彩磁器が福建省南部でも盛んに作られた。さらに清時代には西洋の技術を取り入れて、より鮮やかな色彩でかつ微妙なグラデーションが表現できる粉彩が発明され、最盛期を迎えた。

青花魚藻文酒会壺

本来は蓋を伴う。このタイプの典型的な文様配置。イギリスの陶磁研究者ハリー・ガーナー卿の旧蔵品。

青花葡萄文盤

明時代になると元時代の器面を多段にわけて文様帯を重ねる構成から伸びやかで均整の取れた筆致の表現、写実的な絵画表現へと変化。

青花紅魚藻文壺

黄地に紅彩を塗り重ねた鯉はオレンジがかっている。青花は蓮や菱、浮き草は濃く、水藻は淡くと巧みに使い分けられている。

五彩魚藻文壺

我が国の「赤絵」もしくは「色絵」に相当。下絵付の青花は一部に限られ、五彩による上絵付が中心。

五彩魚藻文盆

鍔(つば)状の口縁部をもつ五花形の面盆で明時代の万暦(ばんれき)期に好まれた形。万暦年間は明時代の景徳鎮窯における五彩磁器の全盛期。

五彩力士形燭台

五彩鳥兎文輪花皿

内面の底部は中央に赤地に白兎、周囲に白地に鳥が描かれ、地文様として捻花形に祥瑞文様が配されている。我が国では「色絵祥瑞」と呼ばれる。

粉彩百鹿図双耳壺

粉彩はヨーロッパの無線七宝の技術を取り入れて開発された、五彩に比べ微妙なグラデーションが表現できる彩画技法で康煕年間(1662〜1722)に始まる。