中国陶磁名品展その4

第三章 青磁白磁の完成と彩釉の萌芽
907年唐が滅亡し、国内は分裂状態になるが、979年に宋により統一された。北方では唐時代からウイグルキルギスなどの遊牧民族の国家が興亡を繰り返し、キタイ族契丹族)が興した遼(キタイ帝国)(916〜1125)や、タングート族(党項族)が建国した西夏(1038〜1227)が華北を領土の一部とした。宋は遼にとって代わった女真族の金(1115〜1234)に攻められ、1127年に都を江南に移し、以後北部の金と南部の南宋が並立した。
国家の興亡はあったものの、陶磁器生産は隆盛を極め、北部の定窯、耀州窯、磁州窯、鈞窯や南部の越州窯、龍泉窯、景徳鎮窯、吉州窯をはじめ、各地に数多くの窯が勃興した。定窯や景徳鎮窯で生産された白磁や、越州窯から龍泉窯へと生産の中心が移った青磁は完成度を増した。磁州窯では、白と黒のコントラストの鮮やかな白地黒掻落や、赤色や緑色の釉薬で上絵付けする器面装飾が始まった。また、鈞窯ではナマコ色をした澱青釉が生み出され、吉州窯では釉調が鼈甲に似た玳皮釉が誕生した。

白磁瓜型水注

良質の胎土。景徳鎮窯。

青磁刻花牡丹文輪花形盤

耀州窯。工具の刃を立てて文様の輪郭を象り、その外側から斜めに切り込んで文様を彫り表す片切り彫りの技法。燃料が石炭であることからオリーブグリーンに発色する青磁釉は北宋の時代の耀州窯の特徴。

青磁酒会壺

酒を貯めておく器。龍泉窯。

澱青釉紫紅斑杯

鈞窯。珪酸分が多く含まれる釉薬で白濁させ、さらにその上に銅を主成分とする釉薬を施して紫紅色の斑文をつくりだす。鈞窯に特徴的な技法。

白地黒掻落牡丹文梅瓶

白地黒掻落の技法は磁州窯を代表する装飾技法。白と黒の対比が明確で美しい。

黒釉銹斑壺

磁州窯系。素地に鉄釉を掛けた後さらに鉄分の多い顔料で文様をつける技法。俗に「河南天目」と呼ばれている。

黒釉堆線文瓶

磁州窯系。裾の広がった高台を持ち、長い頸部からラッパ状に開いた口縁に切り込みを入れて6つの花弁状になった百合口をもつ。

白地紅緑彩牡丹文碗

白化粧の上に透明釉をかけ、高温で焼成した後、赤や緑で文様を描き、低火度で焼き上げる上絵付けの技法が用いられている。明・清時代の五彩磁器へと発展していく。

玳皮釉双鸞文碗

吉州窯。外側面がタイマイの甲羅である鼈甲の模様に似ているところから玳皮釉と呼ばれる。内側は黒釉を掛けた後、想像上の鳥である鸞や梅花、蝶の形に切った型紙を置きその上から白濁する釉薬を掛け、型紙を外して焼成する。日本へは南北朝時代には請来され鼈盞(べつさん)や玳皮盞(たいひさん)と呼ばれ、茶碗として珍重された。この碗も江戸期の木箱に収まる。