中国陶磁名品展その3

第二章 東西文化の融合と華やかな色彩の展開
589年、随により中国は再び統一され、華北と江南を結ぶ大運河が整備された。この運河はユーラシア大陸の「草原の道」、「オアシスの道」とアラビア半島から中国に至る「海の道」を結びつけ、中国と西アジア・地中海の交易路が連結した。618年に建国された唐には、諸外国から人々や文物が集まり、都の長安は国際都市として繁栄した。8世紀半ば以降の対外戦争での敗北、内乱、北方民族の台頭などにより、907年に唐帝国は崩壊した。
随・唐時代の貴人の墓には、三彩や加彩の俑や器物、動物が数多く副葬された。活発な東西交易を象徴するかのように、俑は陸上交易を担ったイラン系のソグド人を彷彿とさせる風貌の人物や服装が表現され、「草原の道」や「オアシスの道」のキャラバンで活躍した馬や駱駝、「海の道」でもたらされた象などがリアルに作られた。また、緑釉(酸化銅)、褐釉(酸化鉄)、藍釉(酸化コバルト)の華やかな釉彩で彩られた鉛釉陶器の唐三彩が誕生し、西方の金銀器やガラス器と通じる造形の三彩・白磁もつくられた。

緑褐釉騎駝胡人

胡人とはソグド人のこと。ターバンをかぶり、鼻も目も大きい。ペットのサルも乗る。

三彩馬

細く、すっと伸びた脚の馬はアラビア産で古代中国では汗血馬と呼んで絶賛した。王族、貴族の墓には競ってこのような三彩の馬が副葬された。このような馬を持つことはステイタスシンボルだったのだ。

白磁象形燭台

三彩貼花文長頸瓶

唐三彩の器形は金属器を写したものが多い。これはサハリの瓶を写したものである。肩、胴、裾に宝相華文、連珠文を貼り付けている。模様には緑釉を掛け、それが釉流れとなり、効果的。

三彩貼花宝相華文水注

藍釉はコバルトであり、緑釉や褐釉に比べ希少であり、それがふんだんに使われていることがこの三彩を豪華に見せている。形はササン朝風であり藍釉が加わってよりエキゾチックな雰囲気を高めている。