さ ん ぽ
今朝の散歩。例のおじいさんと話をする。
86歳。特攻隊の生き残りなんや。広島、長崎に落ちた原子爆弾で出撃の予定が狂った。農家の長男なので戻ってきて百姓一筋。毎朝、夜明け前に来て農作業。昼間はテレビ見て遊んでいる。小遣い稼ぎと税金対策(生産緑地法というのがあるそうな)で細々と作っている。
私の通る頃はもうおじいさんが帰ってしまっていることも多い。畑の端が水で濡れていてというか水溜まりになっている。水をやったのだろうけれど、なんでここが濡れるの?と思っていた。
今朝わかった。畑の端に引いている水道の蛇口につながっているホースが畑の真ん中に立てられたスプリンクラー(可動式)につながっていて水を出すとくるくる水圧で回って水がまき散らされる。
そのホースが途中、破れていて、一応修理してあるけれど不十分でそこから水が漏れて溜まるのだ。
そのスプリンクラーは毎日、軽トラで運んでいるようだ。たまたま、今までの散歩でその場面に出くわさなかった。
水道引くまでは水はどうしていたのと尋ねると畑の横は堀になっていてそこの水を汲んでいたのだという。今は一部埋め立てられ、家が建っている。
私はいつのころからか人が人にできるプレゼントは、ねぎらいは、もてなしは、『関心』だと思っている。
神社の前では私ぐらいの年の男性が今朝もまた、草引きをやっておられた。もくもくと。すっかり顔なじみになったが、窺えるこの人のスタンスにいつも心を洗われている。