新聞記事 人生の贈り物

京大アメリカンフットボール部前監督水野弥一さんのインタビューがこの数日掲載されている。

1982年に試合中の事故で部員が死ぬ。そのときに部員の気持ちに変化があり甲子園ボールにも出場できた。また、水野さんの気持ちにも変化が起こる。それまで京大でフットボールをするのはカッコイイ男の追求だった。でも部員が亡くなって思ったのは「監督の責任ちゅうのはこういう事故が起こらんようにすることとちゃうんか。」自分が責任を全うできていなかった。自分が辞めるかも考えたがそうなったらチームが崩壊する。それは死んだ部員も望まないだろう。そのためには自分のために自分のあこがれのためにやってたんでは申し訳がたたない。自分の人生を捧げんとフェアじゃないなあと思う。

あれ以来自分のためにフットボールをするのをやめようと思った。すると意外なことに負けたり失敗したりするのが怖くなくなった。すーっと勝ちだした。

ところが2006年に部員の集団強姦事件が起こる。2000年頃から部員が集まらないからと「自主性」の名のもとに選手を甘やかした。するとだらしのないチームになった。優勝できる力があってもチャンスを逃してばっかり。2005年はチームが崩壊してもいいからもういっぺん厳しくすることにした。事件を起こした3人は3年までは自由で4年でいきなり厳しくなった。その反動が出たのかもしれない。

それでも監督を辞めなかったのは亡くなった部員との自分で決めた約束があったから。自分の都合や自分の面白さなんかで辞めるなど決して言わないと誓った。選手も集まらず正直面白くないと思っていた時に事件が起きた。でも約束があったから少なくともチームがいい状況になるまでは辞めないと決めていた。(続く)

端折っているので文責はtakikioにあり。

順風満帆に人生がすすまなかった人が何を考え、どう解釈して再び歩き出すのか関心がある。