新聞記事から 大宮エリーさん

今日の夕刊、「新聞広告仕事人」は大宮エリーさん。

今年の3/11に掲載された江崎グリコの企業広告のコピー。

私たちに何ができるんだろう
途方に暮れたあの日
落ち込んでしまったあの日
哀しみに暮れたあの日でも ふとお菓子を食べたこどもが ぱっと笑顔になった

おとなだって おとなになれないときがある
元気を出せないときがある
そんなときは おやつを食べて欲しいな
そう思って 真っ赤なグリコワゴン
東北に向かったのでした

つらいときは つらいって言おう
励ましてほしいときは 励ましてって言おう
そばにいて欲しいときは
お願いだからそばにいてって言おう

おやつはあなたをちょっとだけ
包みこむものだと 信じているから
しまい込んだ心を 癒してくれると信じているから
気を張っている人を 甘やかしてくれるって信じているから
あなたの元に お菓子を 笑顔を 届けに行きます

新しい未来は 待ってちゃダメだ
ぼくらが 自分たちで 作ろう

この人が書いた。
「震災の後、広告作りに携わる自分に何ができるか考えたとき、湧き上がった気持ちをベースに書いたものです」
「3/11の震災の後、『少しでもみんなを元気づけられるような広告をつくりたい』と声をかけていただきましたが、素晴らしいことだなと感動しました。純粋な気持ちですよね。こういう気持ちを、広告に携る者として忘れてはいけないと。だからぜひやらせていただきたい。真摯に。と思いました」

この人は電通でCMプランナーとして広告作りのノウハウを学んだ。一般的な広告作りの枠にとらわれないストーリー性のある内容、低予算をアイデアで乗り切るトータルキャンペーンなど一人で活動することが多く、在籍中「一人代理店」と呼ばれることも。

一方、事務的な仕事が苦手で「組織にいるとみんなに迷惑をかけてしまう」と、独立ではなくドロップアウトした。コピーライターでもあり、CMプランナーでもあり、脚本やエッセー、短編も書く。映画や舞台の監督も手掛けるし、歌詞も書くし番組にも出る。自らの立ち位置について「看板の出ていない何屋かわからない店のような感じですね。迷いこんできた人が『広告はやっていますか?』とか『脚本書けますか?』って恐る恐る尋ねてくれるような無茶ぶりも多いんですが。舞台やってますか?やったことない?じゃあやってみましょうって言われて。斎藤和義さんのライブ演出とかも。みんなの無茶ぶりに震えながら鍛えられてここまできました」。

電通時代は新聞広告でコピーを書いたことがなく、今回が初めて。ポエムのように書き連ねた言葉の中で反響が大きかったのが、

つらいときは つらいって言おう
励ましてほしいときは 励ましてって言おう
そばにいて欲しいときは
お願いだからそばにいてって言おう


という部分。ツィッターを通じて読者のリアクションがウェブで拡散されていく状況を実感した。「好きなコピーの部分を写真に撮りアップしている人がいたり、新聞広告をそのまま額に入れて飾ったという人もいらしたんです。コピーの全文をウェブで読んだけど、そしたらそれが欲しくなって新聞を買いに行ったという人がたくさんいらしてびっくりしました。広告を一般の方が作品として買ってくれるなんて。新聞広告は新聞の広告にもなることに気づきました」

端折ったり、変えているので文責はtakikioにあり。

私はこの人、大好き。疲れると彼女の「生きるコント」という本を読んで大笑いして元気を取り戻す。