たかが服されど服

カーネーションを観ていて、自分の服装について考えさせられた。

勤めている頃は見栄えのする、きちんとした服---周囲、環境が私に望む服装というものがあり、その期待にこたえて、もちろん自分の好みも入れて、身なりを考えた。

そこに精力を使い果たすので、家着は無頓着、落差がものすごくあった。

家にいるようになって着る服が実はあまりないというか数が少ない。勤め用の服は山ほどあるのに家や近所のお買い物に適した服が実は少ない。

したがって同じ服を着るようになり、服を着る楽しさが今はあまり感じられない。

買えばいいのだが、今までにあんなにたくさん服を買ってきたから、さらにまだ買うの?とか服にもうお金を使うのはよしたらとか自分の中にストップがかかり、それに経済的に余裕はない状態でもあり、買わない。

そこに精力を使い果たすので、家着は無頓着、落差がものすごくあった。

このことと私は向き合わないといけないと今日、改めて思った。
何十年もこのバランスで暮してきたら、ひずみが出てきて当たり前。
子どもたちが満たされない思いで過ごしてきたのも当たり前。

この何十年もの垢を埃をとっていくトレーニングをもっとしなければならない。家に庭に日々の暮しにもっともっと愛情を注ぐこと。

そして、お金を使わない家着の充実---洋裁もやりたいのだ。