截金(きりかね)

もう、日が変わるから、昨日ということになるが、市の文化博物館の新春特別展「金箔芸術の美 截金(きりかね)の人間国宝展 斎田梅亭と西出大三」をみにいってきた。

何年か前に女性で初めて截金の人間国宝になった江里佐代子さんが旅先で亡くなったというのをニュースでみたときに截金にちょこっと興味をもったのだった。

江里佐代子さんの作品も10点ほど展示されていた。

おもしろいのは彼ら二人は13歳しか違わないのにまったく交遊がないようなのだった。

あるいは年下の西出大三が尋ねても応えなかったのかもしれない。西出大三は独自で手法を編み出していくのだ。

この西出大三という人はかなりユニークな人のようだ。祖父が初代金沢市長という家柄に生まれながら、東京美術学校に通っているときに早、父に東京にアトリエをつくってもらうような恵まれた環境なのに、その後は定職につかず父にも仕送りを頼まず、アルバイト生活で、奥さんの言によれば前向きの選び取った(定職についてお金に困らない安定した生活の中では精神が怠惰になり真の芸術を求めなくなるからという理由で)貧乏生活の中で截金の研究に没頭し独自で手法を編み出していく。また、截金に関心を持ったのは恩師で尊敬する高村光太郎の講義の中で昔あった截金の手法がすたれてしまったというのを聞いてじゃあ、僕がと思ったというのである。

奥さんは伝記を書いているようで読んでみたいと思った。

奥さんもただ者ではない感じがした。会場のすみで截金の手法をビデオで西出大三に注目した番組を流しているのだが、その中でインタビューに答える奥さんの言が堂々としていて(威圧する感じではない)オーラがあって自分の言葉で粛々と語る。

大三は小さいころひよわで学校生活は楽しいものではなかったようで昆虫に興味を抱き、自分で本を読んで知識を身につけ、12歳の時に京大教授の著した本を読んでまとめた「三宅恒方博士昆虫学凡論抄」というノートが展示されているのだが、前に宝塚の手塚治虫記念館でみたノートとよく似た雰囲気の克明なもので様々な才能に秀でた人物であったようだ。

東京美術学校では木彫を学んでいるので、その作品も展示されていたが、干しカレイはしばらく目をとどめさせる力を持つ作品であった。

なので、彼は截金だけを施すのではなく、作品を分業的につくりあげるのではなく本体から自分で作成する人であった。