西宮の夜 続き

つれあいは、
鷲にさらわれて30年後に大僧正になり母に再会はおかしい。良弁は結構苦労しているので別当になったのは60歳ぐらいのはず。計算が合わない。
(ただ、鷲にさらわれたというのは事実らしい。さらった鷲が良弁をひっかけた杉も今は3代目。)
お付きの人が侍頭なのもおかしい。というなら母、渚の方の髪形もおかしい。
といいまくるが、歌舞伎、人形浄瑠璃時代考証はあってなきがごとし。

その疑問を直接、吉田和生さんにほろよい談義の時に話したらしい。すると「良弁杉由来」は明治時代につくられたものとのこと。他の出し物でも史実に照らし合わせいかにもおかしいということはいっぱいあってあまりにおかしいと少し手を入れることはあるとのこと。

それにしても吉田さんは偉ぶらない、おもねらない、なかなかの人であった。東大寺二月堂の修二会のお籠りに参加させてもらったときのエピソードや東大寺は個人に対応していないので東大寺の僧が亡くなっても寺としての対応はせず(高い所にある大仏のお顔が拝見できる扉を閉めるという対応はするらしい)葬式は個人的に行い、お坊さんたちは午前中にお参りして午後はそれぞれの職務に戻るとか外国公演で反応が特にいいのはフランスとか、舞台の直前に役割変更がある場合もあるが、歌舞伎に比べ、台詞がない分、急な変更でも対応できるのだとか、進行をひっぱっていくのはあくまで語りの大夫、人形遣い人間国宝であろうが従わねばならないとかいろいろ話を聞くことができた。

私は奈良に住んでいた時、修二会の行事が好きで観光客のほとんどない期間(二週間の期間中、毎日、籠松明をもって走る)にはよく二月堂に行った。良弁杉の横にお水取りの井戸があった。

そういうこともあって10月にこの催しのあることを知った際、演目に惹かれて申し込んだのだった。

11月の正倉院展でも良弁のサインをこの目にすることができ、何か不思議な糸を感じての昨夜だった。