煮詰まらない。それが私の必殺技かな。

朝日新聞のコラム「リレーおぴにおん 私の必殺技」が最終回だそうで、最後を飾ったのは料理研究家枝元なほみさんだった。とてもいいなぁと思った。あつく共感!

料理の仕事を始めて四半世紀。安くあがることが一番とかはやりの食情報とかには興味がもてなくなってきた。

食べること、生きること、この二つが密接につながった「共に生きる社会」とは何か、根源まで潜って考えたい。

社会派?それは格好良くいいすぎ。政治的なことはわからないけど、いまの食や農業の問題が、自分の食卓の枠に収まらないのはわかる。TPP、グローバル化、遺伝子組み換え、生物多様性
台所の窓を開けて、関心が広がり、たとえばヤマイモの球芽「ムカゴ」を広めるような小さなことから農業に係わってみようと思った。

3.11後、そうした流れの上に、原発国民投票のための署名運動や都知事選での脱原発候補の応援に関わった。でも期待した結果は得られなかった。痛かった。切なかった。

それだけじゃなく、運動の中でみんなキリキリして、相手を否定しあっていたことがつらかった。否定ばかりだと、自分を狭い狭いところに追い込んでしまう。それってつまらない。

学生運動の最後のバリケード封鎖を経験し、ちょっと変わった劇団にいた。そんな経験も今の自分を形作っているはずだが、否定から入ることをしたくないという私の価値観を支えている一つは、料理研究家になって講演に出かけた奈良の高校での思い出。

ふだん、どんな食事をしているかのリポートを出してもらった。コンビニ弁当、ファミレスと私が日頃、よく思っていないものばかり。

でも、先生から教えてもらったのだ、その地域があまり裕福でないことを。ほぼ全員がアルバイトをしていた。

彼らの顔を見たら、思わず「ともかく、食べて!生きてって!」と心の中で叫んでいた。

この子たちが何を食べるか、否定から始めたくない。食べることの否定は、彼らの生を否定することだから。

今年に入り、旅先のインドのゆったりした風に吹かれ、震災後の重たい気分から、元の自然体に戻りつつある。突き詰めて考えたい。だけど人参や大根を切りながら、最後はおおらかに「ま、なんとかなるさ」と、いったん問題を手放す。人が生きていくことの強さに任せてしまう。

煮詰まらない。それが私の必殺技かな。

(記事そのままではないので文責はtakikioにあり)