妻はでましたー、今日も出たー

7月28日土曜日は京都に行った。三年坂美術館の館長が津田楼というお茶屋さんを借りてコレクションの自在置物について講演し、実際に触らせるという趣向の会に参加したのである。

今、自在置物はほとんど海外に流出した状態になっているとのこと。江戸中期から作られるようになった動く金属の置物で、甲冑の注文の減った甲冑師がお得意先の大名に「次の注文、よろしく」(戦乱の世に比べ減ったとは言え、儀式には必要なもの、ときどき注文は入る)と挨拶代わりに、甲冑づくりの腕を生かして巧妙な昆虫、甲殻類、龍、鷹、孔雀、鯉などの本物そっくりに動かせる動く置物をつくって贈ったもの。

大名家が維新のあと生活に困窮して様々な道具類を売りに出した際にこれらも流出し、そのほとんどが外国に出た。

外国ではファンが多く、欧米で数百人、台湾にも数十人のコレクターがいるという。お膝元、日本ではこの館長さん一人とのこと。精巧な作りの日本オリジナルの工芸品であるにもかかわらず、知っている人は少ない。

この春にもヘビの精巧な、とぐろを完璧にまける精密なものがヨーロッパのオークションで出て1400万の値段がついたという。

参加者は館長の話のあと、持参したマスクをかけ、用意された手袋をつけて手にとって観賞した。十数点あった。タイマーつきで時間が来たら次に回す。

高瀬好山が先日テレビの「美の巨人」という番組で取り上げられたが手元に回ってきた彼の鯉はすばらしい出来だった。その後、部屋を移って津田楼の食事を楽しんで散会。

写真撮影は禁止だったが参加者の中に現在の作家の作品を持参した人が居て写していいと了解をいただいたもの。

せっかく京都に来たのだからと私は高麗美術館に遠回りで(循環しているが向きが逆の運行のバスに乗ったので北大路から40分かかった---失敗)行く。

6月に京都の河合寛次郎記念館に行ったときに手にした「高麗青磁の精華−心にしみいる翡色の輝き」というパンフレットに惹かれたのである。

意外に展示品は少なかったが雲鶴青磁など象嵌青磁の作り方が説明してあり勉強になった。二階にこの美術館の創設者鄭詔文氏を紹介する展示があってそちらも興味深かった。司馬遼太郎と親交があり、門にかかる高麗美術館と書いた陶板の字は司馬遼太郎の手になるもの。

7月29日和泉市に行く。お茶会に参加した。シティプラザのお茶室であったもの。生涯学習に力を入れる市がお茶を楽しむ市民のためにこんなりっぱなお茶室をつくっている。

この日がお茶会デビューとのことで高校生の女の子がういういしくお茶を点ててくれた。先生である席主の方は人柄を感じさせる素敵な方でゆったりと豊かなしみじみとした空間が醸し出され、改めて一期一会のお茶の楽しみを実感した。

7月30日は夕方から岡山の牛窓へウミホタルを見にいった。岡山大学の臨海実験所がある。

ここを使ってウミホタルを研究されている甲南大学の道之前先生に案内していただいた。富山湾ホタルイカも研究されていて先日NHKでその研究が紹介されたそうである。

空には月の光、満天の星の光、そして対岸の電灯の光、手元にはちっちゃな海洋生物の出す幻想的な青い光が揺れている。

家に帰ると12時を過ぎていた。ツレアイは起きて待っていた。

7月31日は姫路のお茶の先生宅でお稽古。茶箱。花と雪。